5GAPインタビュー<前編>一発屋にもなれない「0.5発屋芸人」地獄の大スベリ、番組打ち切り……超苦節の20年
2020年9月8日放送の『いろはに千鳥』(テレビ埼玉)に出演していた「ホワイト赤マン」こと5GAP。かつて『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)などで活躍した、バカバカしさ全開のキャラクターだ。しかしコミカルな外見とは裏腹に、彼らの人生には「生死をさまようレベル」の、とんでもない紆余曲折と困難の日々があったことが番組で語られた。
QJWebでは、『いろはに千鳥』でオンエアされなかった細部に至るまで、ふたりのヒストリーについてインタビュー取材を行った。一発屋にもなれず、しかし腐らず、”感謝”の気持ちを常に抱きながら活動し、千鳥が「なんでこいつら売れてないん!?」と驚愕した、5GAPの20年とは。
目次
『いろはに千鳥』5GAP特集回を終えて
──5GAPさん特集回(2020年9月8日放送)、本当に素晴らしい回でした。
秋本 最初、何人かいるうちのワンコーナーに出演するかたちだと思っていたんです。ダイアンとか、押見さん(おしみんまる)との並びに入って何かやるのかと思っていたら……僕らの特集!?って。
久保田 「誰が観るんだ、これ(笑)」ってね。
秋本 『いろはに千鳥』って有名な人気番組じゃないですか。もちろん芸人の中でも大評判ですし。ありがたいことに、ディレクターさんや千鳥さんが「おもしろいから、何か一緒にやれたらいいなぁ」みたいなことをずっと言ってくれてたんですけど、この番組って誰がゲストで来るか本当に伏せたままらしいので……。
──本当に「ゲストがわからないまま」なんですね!?
秋本 だからこっちも「出ますよ」って言えないじゃないですか。千鳥さんが「(笑いと涙)全部入れてるじゃん」って仰ってくれてましたけど、全部やらせてくれたのがありがたくて。
──視聴者側からすると、番組なのである程度構想を練られているのかと思っていました。
久保田 本当、行き当たりばったり。僕らは話の流れを用意していますけど、千鳥さんたちは何も知らない。
秋本 用意していることが好きじゃないから。
久保田 その場で対応して、みたいな感じでしたね。
──放送後、まわりの反響はいかがでしたか?
久保田 けっこうありましたね。ひとつ変なことになっていたのが、収録からオンエアまで3カ月ぐらいあったんですよ。でも、ノブさんがSNSで「今日の収録、5GAPめちゃくちゃおもしろかった」みたいなのを上げてくださって、たぶんその影響なのか「よかったらしいですね!」って、オンエア前からお声がけいただいていました(笑)。
秋本 会うたびにいつも撮ってくださるんです。そのおかげもあってか、いい反響しかなかったです。
仲よしグループで“ぼっち”になり、コンビ結成
──5GAP結成までの経緯を教えてください。
秋本 NSCで会いました。久保田が高卒で、僕は社会人……美容師を3年くらいやってから入ってきて。
久保田 ……あの、今抱いてる感情言ってもらって大丈夫ですよ?
秋本 この頭じゃないですよ!? その当時は。
久保田 授業の合間に飯食べたりするグループが自然にできるんですよね。うちの相方がいたグループは大所帯で、僕は3人の小さなグループで。でも、その3人のうちふたりがコンビ組んじゃって、僕ひとりだけ邪魔者みたいな(笑)。だからそのあと、いろんなグループを転々としていて、そこからなんとなく一緒にいるようになりました。
秋本 お互い同級生とかと入ってきているわけじゃないから、相方いなかったしね。コンビ組む前に授業でいろんなことやるんですけど、とにかく彼はパントマイムがめちゃくちゃうまくて。
久保田 バケツに水を入れてパントマイムする、そういう授業があったんです(笑)。
秋本 授業は3クラスに分かれていて、同期のピースは一番上のクラス。僕たちは一番下のクラスだったんですけど、綾部とかはうちらのクラス大っ嫌いだったと思う。キャッキャ、キャッキャしてる学生ノリで全然ピリついてなくて。でもそのクラス内で仲よくなって、パントマイム観て……。そんなときに、ネタ発表会があるからそれまでにコンビ組まなきゃと。
久保田 お互い相方はいない。でも一緒のグループにはいる。「なんとなくこいつなのかなぁ?」って思っていました。でも、なんて言えばいいんだろう?って。人生で初めてじゃないですか、「コンビ組もう」なんて言うの。確かあれは、溜池山王駅の改札前を歩いているときに「……やるぅ~?」みたいな。
秋本 そんなロマンチックだった? なんかすごくいいふうに言ってますけど、単純にグループから外されて誰も仲いい人がいなくて、誰からもアプローチされてなかったから……(笑)。
久保田 「俺と、笑いの天下取ろうぜ」みたいなことは言えないタイプなんで、「ぃ、ぃ、ぃやるぅ~~?」みたいな。
──フィーリングだとか、言葉では表せない何かがおふたりにはあったんですね。
久保田 そうですね。でも結成後わかったんですけど、お互い“相方の必要条件”として「カッコよくて華がある奴」っていうのがあったんです、その当時は(笑)。
秋本 本当恥ずかしいですね。自分らのことちょっとイケてるって思ってたんですよ。
久保田 でも、養成所の先輩たちからは「めちゃくちゃ華のある、イケメンコンビが結成された」って言われてたっていうのをあとあと聞いて。その先輩たちも「今じゃただのおじさんコンビだな……」って(笑)。
秋本 歴代の宣材写真が一番変わってきたコンビって言われてる。髪の毛あるし、ロンブーの淳(ロンドンブーツ1号2号・田村淳)さんみたいなツンツンの格好で。
念願のテレビ初出演で、“一発目の劇団ひとり”にボコボコにされる
──2007、8年ごろに「ホワイト赤マン」でメディア露出が多かった印象ですが、当時の思い出をお聞かせください。
秋本 僕ら、実は1年目でテレビに出まして。『新しい波8』(フジテレビ)っていう香取慎吾さんがMCの番組に、スタッフさんが押してくれて出演できたんです。で、そのときに一緒だったのが劇団ひとりさん。「スープレックス」を解散したばっかりの“一発目の劇団ひとり”さん。もうバチバチにやられて。社員さんがいっぱい観にきているなかで、ひとりさんはウケて俺たちはスベって。地獄を見たのを覚えています。
久保田 当時のマネージャーさんが収録終わりに楽屋で、「デビューして数カ月でテレビの収録呼ばれたのは運はすごい持ってますけど、組み合わせが劇団ひとりってことは、最低に運がないですね」って言われて。「あ、こういう世界か……」って。
秋本 天下の香取慎吾さんが目の前にいるし、何話していいかわからないし、1年目はそこでかなりくじけました。
「ホワイト赤マン」で、ついに“後輩から楽屋弁当をもらう日々”からの脱却!……かと思いきや
久保田 「ホワイト赤マン」は、『レッドカーペット』のオーディションでけっこう落ちてたんですよ。闇雲にネタ持っていったらついにハマった!って感じでしたね。
僕その当時、吉村(平成ノブシコブシ吉村崇)とてつみちって芸人の3人で同居してたんです。ふたり共テレビに出ていて、僕だけまったく出ていない。3人で生活していると、ふたりがテレビ収録終わりに後輩連れてくるんです。はんにゃの金田(哲)とか。
で、「久保田さん、よかったらこれ収録で余ったお弁当だから」って言って、みんながその日の収録話で盛り上がってるなか、ひとりでキッチンの隅っこでもらった弁当食ってたのが、超悔しかったですね。だからオーディション通ったときは本当うれしかったです。
秋本 でもそっからまたちょっと苦しくなるんです。「ホワイト赤マン」で通ったから、僕ら的にはこれでいろんなネタがやれるなって思ったんですけど、「ホワイト赤マン」の設定でずっとネタを作ってください、となって。出してもらえることはすごいうれしいけど、この縛りでずっとやらなきゃいけないのかぁって。
ほかにもこういうネタあります!って相談しても、返答はいつも「自分らで飽きちゃう前に、世間の人たちはもっと観たいから、まだやりつづけたほうがいいよ」って。実際、テレビマンの方の言っていることが当たっていたんです。ずっとやりつづけてちょっと覚えてもらえたので。だから当時は、テレビの出方とかを全然わかっていなかった。
一発屋にもなれなかった、“0.5発屋芸人”。支えてくれたのは「ルミネtheよしもと」
──『レッドカーペット』の終了や、お笑い番組そのものが少なくなっていった時期は、どう過ごされていたんでしょうか。
秋本 世間的にお笑いが遠ざかっていくのもわかるし、『レッドカーペット』も「あ、番組終わってっちゃうな」ってわかって。でも、「ホワイト赤マン」もすごくかわいがってくれた番組だし、どうしようって考えているうちに終わっちゃいましたね。
それこそ、「ルミネtheよしもと」はそういう時期から、ずっと出してくれているんです。言い方がアレですけど、ルミネって「売れている人が出る劇場」だと思うんです。その中でずっと出させてもらえているのは、“支え”を感じましたね。ルミネがあるからなんとかお笑いやっている感じを保てた。営業とかもなくなりましたし。僕ら一発屋にもなれない、“0.5発屋芸人”だったんですよ。
──“0.5発屋芸人”……ですか。
秋本 レッドカーペット賞も2、3回くらい獲ったのに、一発屋にもなれなかった。一発屋になれたらそこから仕事つながったりもしたんでしょうけど、それもなく終わっちゃったよね。
久保田 次につながってほしいのに、自分らじゃどうにもならないことってあるじゃないですか。やっぱりオファーがないと、こっちも行きようがない。マネージャーさんも当時がんばってくださっていたんですけど、『レッドカーペット』以外は呼ばれることがまずないっていう。
当時楽屋でカラテカの入江(慎也)さんが、「誕生日の語呂合わせで人を覚える特技」を披露していたんです。たくさん芸人がいるところで、僕の誕生日の語呂を聞いたら「とう(10月)とう(10日)終わったね、『レッドカーペット』」って言って、それで芸人がワッて笑ったんですよ。そこで、「あ、終わったんだな」って。芸人の感覚的に。「そっか、これで笑いが起きるっていうことはみんな“終わってる番組”として納得してるってことだよな」って印象はありましたね。だからここから先につながることはないんだろうなっていう。
──一度人気が出たキャラクターではなく、新たなキャラクターで露出を狙う芸人さんもいると思いますが、「ホワイト赤マン」は現在もつづけていらっしゃいますよね。これは先ほどお話に上がった、助言をくれたテレビマンの意見もあってのことなんでしょうか?
秋本 多少はありますね。でもそれよりも、久保田が扮装していたほうが憑依してしゃべりやすいタイプっていうのがあります。素が、気ぃ遣いでまじめなんですよ。たぶん久保田自身もそれに気づいていて、「俺はこれでやる」って思ってるんですかね。
久保田 でも、劇場では「ホワイト赤マン」は逆にやってないんですよ。
秋本 自分ら的にもほかのネタもやりたい思いがあったしね。それと、一発屋になれてないんで「あれをやってほしい!」「待ってました!」っていう声がないんですよ。
久保田 そこがやっぱり“0.5発屋”なんです。だから、やっても反応が薄いというか。
関わる番組がことごとく終わる。初代王者になった“勝ち抜き企画”もおじゃんに
秋本 『レッドカーペット』もそうなんですけど、そのあとにもう1回僕らに波が来たんです。『日10☆演芸パレード』(TBS)っていう番組。
5週連続勝ち抜いたらラジオ番組をもらえる企画の初代勝ち抜き王者なんですよ、僕ら。永野さんとかもいたなぁ。で、「5GAPさん10週連続勝ち抜き企画やりましょう!」ってなったら、番組が8週目で終わっちゃったんですよ。
久保田 僕らが関わると終わるんです(笑)。芸人って、番組の初期メンバーにいるべきなんですよ。途中から加わると、ずるずる~って終わるんです、絶対に。その「途中から加わっちゃうタイプ」なんですよ、僕ら。