「世界から“人間として”認められていない」『ガザとは何か』の著者に聞くパレスチナの惨劇【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

「世界から“人間として”認められていない」『ガザとは何か』の著者に聞くパレスチナの惨劇【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

文=折田侑駿 編集=森田真規


“停戦”の報道からも続くガザでの惨状。パレスチナで起こっていること、イスラエルが行っていること、なぜそれは止むことがないのか。それを理解するために、私たちは彼の地の歴史と現在も続く民族浄化を、能動的に“知る”努力をしなければならない。

1990年生まれの文筆家・折田侑駿による連載「割れた窓のむこうに」では、特定の作品を通して見えてくる“社会”的な物事について見つめていく。第4回は『ガザとは何か』の著者であり、パレスチナ問題について発信を続けている岡真理への10月下旬に実施した取材をもとに、人権と平等を取り戻すための可能性を探る。

岡真理

岡 真理
(おか・まり)1960年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題。著書に『中学生から知りたいパレスチナのこと』(共著、ミシマ社)など。「国境なき朗読者たち」を主宰し、ガザをテーマとする朗読劇の上演活動を続けている

平等とは何か?

私とあなたは平等だろうか。

世の中から差別はなくならない。さまざまな格差によって、ふいに大きな溝が生まれることもある。けれどもこのページにたどり着いている時点で、まったく別の世界で生きているわけではないと思う。完全なる平等とまではいわずとも、おそらく同じような世界を目の当たりにしているはずだ。けれども、私たちとパレスチナで生きる人々は、まったく平等ではない。まったく別の世界で生きている。パレスチナの人々は、私たちとは異なる世界で生きることを強いられている。未来に、いや、明日にさえ希望が持てないでいる。“人権”を奪われているからだ。

2023年10月7日──ハマスがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けてから戦闘が始まり、瞬く間に2年が経った。イスラエルとパレスチナの間で起こっているこの問題を知らない人はさすがにいないだろう。しかしこの問題に対する認識は、個々人によって大きく異なっている。憎しみの連鎖によって争いが生じているのだと考えている人は多いし、遠くの出来事だとしてぼんやりと眺めている人も少なくない。だが実際には、海の向こうで私たちのよくわからない争い事が起きているのではない。どっちにも言い分がある、という話でもない。

今、イスラエルとパレスチナの間では、私たちの常識の範疇(はんちゅう)を超えたことが起きている。いや、約80年も前から、ここでは狂った状況が続いている。あなたは映画『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(2024年)を観ただろうか。ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区、マサーフェル・ヤッタでのイスラエル軍による占領と破壊の実態を、生々しく捉えたドキュメンタリー作品だ。

私はこの映画を初めて観たとき、言葉を失った。イスラエル軍や入植者たちによる暴力は、理不尽などの言葉で言い表せられるものではない。私が言葉を失ったのは、イスラエルによって民族浄化が進むパレスチナの現実を克明に映し出したものなのだと、あらかじめわかっていたから。もしも何も知らずに観たら、ドキュメンタリー風のディストピア映画だと思ったかもしれない。あの地で起きている現実は、これまでに触れたことのあるどんな冷酷で残虐なフィクションよりも恐ろしい。そして映画の終わりのほうで、2023年の10月がやってくる──。

緊迫の本編映像解禁『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』

“ホロサイド”が起きている現状

この2年間、テレビのニュースやSNS上には、目も当てられないような世界の様相が映し出され続けてきた。イスラエルの強制封鎖によって、パレスチナのガザ地区の人々に逃げる場所はない。大量の民間人が殺傷され、飢餓状態に苦しみ、安全な飲み水すら得られず、負傷しても適切な処置は受けられない。『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』の著者である岡真理は、現状をどう捉えているのだろうか。

「“停戦”などと報道されていますが、停戦は破られています。今もイスラエル軍による攻撃は続いていて、ガザでは連日多くの死傷者が出ています。にもかかわらず、これを「停戦」などと呼んで、あたかも停戦が維持されているような報道は、事実の隠蔽であり、ジェノサイドの共犯にほかなりません。

『ガザとは何か』は、2023年10月7日の、イスラエルによるガザ攻撃が始まってすぐに行った講演会の内容をまとめたもので、それからこの2年間、ガザの状況を追いながらパレスチナ問題について語り続けてきました。ガザの現状について語るならば、この2年間ガザで起きていること、そして2023年10月7日に至るまでの歴史についても触れなければなりません」

“現状”とは、現在の状態のこと。そして現在とは、連綿と続く時間における、今この瞬間のことだ。過去があって、現在がある。だから現状について考えるならば、現在の状態が生まれるまでの過程に目を向けなければならない。こうして言葉の持つ本来の意味を正確に捉えることが、パレスチナ問題を考える上で重要なことなのだと、あとで理解することになる。岡は次のように続ける。

「ガザは2007年に封鎖されて以来、逃げ場のない人々に対して、大規模な軍事攻撃が繰り返されてきました。私はジェノサイド研究の専門家でも、国際法の専門家でもありませんが、でも、ガザの状況をずっとフォローしてきた者として、10月7日以降、イスラエルがガザに対して行っていることは、『ジェノサイド条約』の定義に照らして紛れもないジェノサイドだということは、2023年10月20日に講演を行った時点で明らかでした。

攻撃が始まった当初から、ジェノサイド研究や国際法の専門家がこれをジェノサイドだと断言してきましたが、2025年になって、国際ジェノサイド学会もジェノサイドだと認定し、国連人権理事会の調査委員会もようやく、2025年9月、これをジェノサイドだと認める報告書を発表しました。でもイスラエルの所業は大量殺戮に留まるものではありません」

住宅の大量破壊を意味する“ドミサイド”、医療システムの組織的な破壊を指す“メディコサイド”、社会環境基盤や自然環境を破壊する“エコサイド”、“エデュサイド(教育破壊)”、“スカラスティサイド(学知破壊)”といった聞き慣れない言葉がガザの現状に対して用いられ、さらには人間が生きていくことを可能にする都市のインフラのすべてを破壊し尽くす“アービサイド”という言葉まで生み出された。これまで報道されてきた死者の数は、爆撃などの直接的な攻撃で亡くなった人々の数でしかない。生活基盤を奪われて亡くなっていく人々のことまでは、正確に報道されていない。

「病院で確認された遺体の身元がガザの保健省に伝えられ、それが死者の数として発表されています。ですが病院も攻撃されて機能不全を起こし、通信インフラも破壊されているので、正確な数をガザの保健省が把握するのは困難です。世界的な医学雑誌『ランセット』に発表された研究によれば、ガザの死者の数は、保健省発表の1.4倍に相当するだろうということです。この2025年10月29日時点で約6万8000人といわれていますから、その1.4倍となると、10万人に迫る数になる。これに加えて、病死や餓死といった間接死もあるんです」

今すぐに完全な停戦が実現したとしても、封鎖による劣悪な環境で死者は増え続ける。持病を抱えている者たちもそうだし、安全な水と食料がなければ命をつなぎ止めることはできない。ガザの半数を超える人々が、今回の攻撃が始まる以前から、封鎖のもとで貧困とされるラインを下回る生活を強いられてきたが、現在は、人間が生きることを可能にするインフラのすべてが破壊されている。助かる命も助からないのが現状だ。

「今ではメディコサイドという言葉を超えて、“サニタスサイド”という言葉が使われるようになりました。人間が命を維持する社会の保健衛生システムの全面的かつ包括的な破壊を意味します。家もなく、不衛生な環境で長期にわたる避難生活を強いられ、水も土壌も大気も汚染され、病気になっても、薬もなく、じゅうぶんな治療も受けられず、人為的な飢饉による栄養失調で体力も免疫もない。通常なら命に関わらないような病気やケガが致命的なものとなっています。こんな環境で、人は生きていけるでしょうか。これはもう、ホロコーストを凌駕しています」

この惨状について、「これは“ホロサイド”だ」と岡は語気を強める。

「殲滅という言葉がありますよね。英語では“annihilation”。“皆殺し”を意味する恐ろしい言葉です。でもガザで起きていることは、この言葉でもまだ足りない。だから私は“ホロサイド”という言葉を使っています。文字どおりすべてが破壊されているのですから。しかもこれが公然と行われています。かつてホロコーストを行ったナチスは、隠れて、秘かに、ユダヤ人の大量殺戮を行っていました。第二次世界大戦後、ドイツ人は、『私たちは知らなかった』と言いました。言い換えれば、知っていたら、そんなことは許さなかった、ということです。

でも今のガザはどうでしょう。ホロサイドが人目もはばからず、公然と行われているばかりか、かつてナチズムやファシズムと戦った者たち、“人権”や“自由”や“民主主義”や“人間の尊厳”を錦の御旗として掲げる者たちが、ガザのホロサイドに共犯しているのです」

【ガザ死者7万人超える】停戦後もイスラエル軍の散発的な攻撃続く さらなる被害の拡大懸念|TBS NEWS DIG

情報を歪曲する主流メディアの問題

1948年のイスラエル建国に端を発する民族浄化が、現在も続いている。どっちにも言い分がある、という話ではない。なぜパレスチナ問題が正しく報じられないのか。ここにはメディアというもののあり方の問題もある。

「日本の主流メディアの報道は、ジェノサイドの共犯者である西側諸国政府の考えに沿ったものです。だからイスラエルが行っているのはジェノサイドだと知ってか知らずか、この言葉を今に至るまで積極的には使いません。テレビ番組に登場する国際政治の専門家や有識者とされている人々も、これが歴史的に見て明らかな植民地主義による民族浄化でありながら、これも、知ってか知らずか、そう明言しない。

2023年10月7日のハマスによる攻撃がなぜ起きたのか。何十年にもわたってイスラエルによる国際法違反である封鎖や占領、民族浄化があり、そのもとで、パレスチナ人は、自由も人権も自己決定権も奪われてきた。さらに、イスラエルによる戦争犯罪や人道に対する罪が積み重ねられてきたけれども、国際社会は口先ばかりの非難はしても、イスラエルが処罰されたことは一度もない。

こうしたなかで、それに対する抵抗としてハマスが攻撃を行った。なぜ、ハマスが越境攻撃を行ったのか。そもそも、なぜ“抵抗運動”としてのハマスが設立されたのか。そうした歴史的背景についても言及しなければならないはずですが、それは言わない。これがメディアの問題のひとつです」

大きな力によって情報はコントロールされ、歴史的事実が覆い隠され、歪曲したものだけが私たちのもとへと届いている。しかしメディアで報じる人々は、事実と異なる情報を扱っていることに気がつかないものなのだろうか。

「たとえば新聞の場合、必ずしもパレスチナ問題に詳しい方が書いているわけではありません。記事が書かれる段階で、歴史的な背景が踏まえられていないわけです。自分たちのメディアが偏った報道をしている自覚すらなかったりもします。だから判で押したように、『ガザを実効支配するイスラム組織ハマス』などという表現が、どの紙面でも用いられているんです。ハマスのガザ統治がなぜ“実効支配”と言われるか記者に聞いても、知らない。ハマスについて書く際はこう記述するのが我が社の方針なんです、と答えた記者もいます」

要するに多くの記者が、何を書けばいいのかわかっていないのだ。漠然とした危機感だけは抱きながら。この原稿を書く前の私もそうだった。物書きとしてなんらかのアクションを起こすべきだと感じていながら、自分の言葉にするだけの自信がなかった。それはひとえに私が無知だったからにほかならない。

大手メディアが放つ情報に触れただけで、なんとなく知った気になっていただけ。しかし言葉の持つ本来の意味について考えると、すぐに矛盾点が浮かび上がってくる。岡は、ハマスがキブツ(イスラエルの集団農場)を襲撃したことについて、「キブツは武装しており、住民の男性たちは予備役に就く兵士たちで軍事訓練も受けており、イスラエルがガザに地上侵攻する際に前哨基地となるキブツが果たして純粋に“民間施設”なのかというのは議論が必要ですが、国際法上は“民間施設”であり、それを襲撃したのは完全な国際法違反で戦争犯罪です」と述べた上で、「占領されている側が武装抵抗するのは国際法で認められている抵抗権の行使」と念を押す。だからハマスが軍事攻撃を行ったからといって、それを即“テロ”と表現するのは間違っている。

なぜ、ハマスは攻撃をしたのか──それはイスラエルに占領されているからだ。なぜ、パレスチナには難民キャンプがあるのか──それはかつて住んでいた土地を奪われたからだ。繰り返すが、どっちにも言い分がある、という話ではないのである。私たちは目の前で起きていることに対して、「なぜ?」と繰り返し問いかけていかなければならない。今は誰もが情報の受信と発信ができる時代である。正確な情報こそ、イスラエルに抵抗し、パレスチナと連帯する武器なのだ。

【特集】岡真理さんと考えるイスラエルによるガザ侵攻(岡真理)

“不正義”と“無関心”に抗う文学の言葉

パレスチナ問題は遠くの出来事ではない。海の向こうの出来事どころか私たちも関係者なのだと、ここまで読んで理解していただけたと思う。私たちの身近な企業がイスラエルへの支援を行うことにより、自らもガザへの攻撃に加担しているのだと実感している人も少なくないはずだ。では私たちはそういった企業に対して、どんなスタンスを取ればよいのか。これに関しては私自身も悩んでいる。

「マクドナルドやスターバックスを利用しないに越したことはありません。とはいえ、誰かが個人的にマックのハンバーガーを食べない、あるいはスタバのコーヒーを飲まなかったところで、企業にとって大したダメージにはならない。でも、日本全国の中高生がマックのハンバーガーを食べない運動を起こしたら、日本のマクドナルド社は必ず何かしらのリアクションを取るはずでしょう」

イスラエルと関わりのある企業は飲食チェーンだけではない。Googleだって、Amazonだって、Microsoftだってそう。完全に骨がらみ。どれも私たちにとってライフラインなのだから、完全に手放すことはできない。パレスチナ問題と関わりのあるすべてをボイコットするのは難しい。だけれども、今の自分たちの日常が誰かの人権を侵しているかもしれないことを理解し、この仕組みや構造に自覚的になること。これが今の私たちに求められる態度だろう。

イスラエルとパレスチナ間に横たわる現状を把握し、理解した上で、私たちにできることはなんなのか。恥ずかしい話、私は自分自身の生活をどうにかするので精いっぱいなのが正直なところだ。でも、どうにかしたい。しなければならない。生まれ育った文化圏は大きく異なるかもしれないが、人権蹂躙が続いているこの現実を前に、そんなことこそ関係がない。

「パレスチナの人々が見舞われているのが仮に自然災害だったならば、“かわいそうに”と言うのも自然なことです。でもこれはそういう話ではない。パレスチナ人は生まれたときから人権を認められず、人間らしく生きることの何もかもが奪われている。もう何十年も。その結果が、ガザでのホロサイドです。パレスチナ人は世界から“人間として”認められていないのです。

今、目の前で起きているのは“かわいそう”なことではない。明確な加害者がいて、それを見て見ぬ振りをする私たちがいる。これは不正義の問題なんです。日本は特に、この不正義に対する関心が薄いと思います。かつて戦争に負けて占領された歴史がありますが、日本にはアジアの国々を占領した歴史もあります。占領支配や植民地支配とは、支配される者たちにとって、いったいどのような暴力だったのか、教育の場ではしっかりと語られません。その記憶が継承されていません」

この巨大な“不正義”と“無関心”に抗うために、私たちには言葉が必要だ。それも、文学の言葉だ。言葉によって、私たちはヒューマニティ(=人間らしさ)を取り戻さなければならない。そう『ガザとは何か』にも記されている。

「ガザで起きている破壊は、筆舌に尽くし難い。イスラエルによるホロサイドは、これまでの私たちの手持ちの語彙では表現しきれません。私たちが持つ語彙は、人間性の範疇のものでしかありませんから。これがパレスチナ問題に関する報道の難しいところでもあるのかもしれません。ガザで起きている出来事を誰もがわかる言葉で書こうとすると、事実を正確に述べたとしても、実態が割り引かれたものになってしまう。事象が語彙を超えているのですから」

手持ちの語彙でストレートに表現しようとすると、結果的にパレスチナ問題の現状を希釈してしまうことになるかもしれない。だからこそ、文学の言葉に可能性があると岡は語る。手持ちの語彙では表現できないことを、詩や小説などの文学は言葉を尽くして表現しているではないか。この「割れた窓のむこうに」で取り上げてきた、映画やマンガもそうだ。

この文章が“文学”と呼ぶに値するものなのかは自信がない。しかし、私とあなたがそれなりに平等であり、私たちとガザ地区をはじめとするパレスチナの人々が平等でないことは明確に記したつもりだ。そして、これはまだほんの入口に過ぎない。私たちが平等になるためには、世界の“不正義”や“無関心”と闘う必要がある。私は書き続けることで、この闘いをやめない。だからどうかあなたにも協力してほしい。本来は誰もが持っているはずの、人権と平等を取り戻すために。

書籍『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』

『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』岡真理/大和書房/2023年
『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』岡真理/大和書房/2023年

著者:岡真理
発売日:2023年12月22日
定価:1,540円(税込)
ページ数:208ページ
判型:四六判
発行:大和書房

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折田侑駿

(おりた・ゆうしゅん)文筆家。1990年生まれ。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、文学、服飾、酒場など。映画の劇場パンフレットなどに多数寄稿。映画トーク番組『活弁シネマ倶楽部』ではMCを務めている。