最愛の夫は小樽の警察官、しかし結婚わずか5年で膵臓がんに…1億6000万円の借金を背負って必死に働いた50年。今でも心の中で叫ぶ「パパ、助けて」【佐伯ポインティのご長寿猥談 #3】

文=佐伯ポインティ イラスト=五月女ケイ子 編集=山本大樹


長い人生を積み重ねてきた人々が語る生涯最高の恋愛や性体験とは、どんなものなのか?

猥談を生業とする佐伯ポインティが、65歳以上の男女に濃〜い猥談を直撃取材! 戦前生まれの高潔なおばあさんからバブルの絶頂を味わったイカれたおじいさんまで、愉快なご長寿たちが登場します。

※本連載は一部に性的に過激な描写が含まれています。苦手な方は閲覧をご遠慮ください
※扱う時代背景を勘案し当時の表現を使用しているため、一部現代では不適切な行為の描写も出てきます。本連載はそれらの行為を肯定するものではありません

ポインティ、ゴールデン街で情報収集!

著者の佐伯ポインティ

これまでSNSでフォロワーに募集する形で猥談を集めてきたポインティだが、唯一まったくアクセスしようがないのがこのご長寿猥談である。毎回マジで手がかりがない。

今回も担当編集の山本氏と「いったんゴールデン街で情報収集でもしてみますか…?」となった。これをどっちが提案したのかも覚えてないぐらい、お互いが雰囲気で取材をしているのだ。

……ってか酒場で情報収集って、こんなドラクエみたいな企画ある? 場当たりすぎない??と思いながら「ゴールデン街で一番下品な店!」と人に紹介された『Sea&Sun』で、ご長寿猥談で取材できそうな人に心当たりありませんか〜?と聞くと「中野に名物スナックがあって、そこのママは面白い話が聞けそう」とアツい情報が入った。

時間を見ると21時。スナックはまだオープン中! 山本氏と「今から行きますか!!」と現場に急行することに! そうこなくっちゃ〜! 手がかりがまったくないところから取材するのが常態化しているし、なんだかんだ取材できているので、だんだん情報ゼロから取材をはじめるのが楽しくなってきている。街を歩くご老人たちには濃厚な人生の猥談が埋まっていて、当てずっぽうにスコップを入れて、偶然貴重な鉱石を掘り当ててる感覚だ。クセになっちゃう……!

そんなわけで、中野の名物スナックをお尋ねすると、明らかに人生の厚みのあるオーラをまとう方が。この方こそ、ゆいママである。楽しそうに飲み終えたお客さんの会計を済ませると「今日は人少ないからいいよ」と取材を快諾してくれた。

ゆいママ(70代)
・中野でスナックを経営
・昭和30年代(1950年代)生まれ、70代(詳細はヒミツ)
・結婚した夫と死別し、娘がひとりいる
・現在に至るまで夫以外の男性と一度も遊んでいない

中学時代の先生が「お前の結婚相手は俺が決める!」

ポインティ(ポ) さっそくなんですけど、ゆいさんはこれまでどんな人生を歩んできたんですか?

ゆいママ(以下、ゆい) 北海道の小樽の生まれでね。お父さんは浮気して家を出ていっちゃったから、女手ひとつで育てられたんだけど。兄弟は兄ちゃんが4人、妹がふたりいて7人兄妹の大家族。お母さんは昼間は保険屋さんとお寿司屋さん、夜はモーテルで働いててね。

 7人を食わせていくために……むっちゃハードですね……

ゆい 母子家庭で長女だから、もう私がお母さん代わりだよね。お兄ちゃんのぶんのお弁当も全部作ってた。お母さんは働きに出てるから私がお父さん代わり、って感じね。私は札幌のスナックで歌を歌って、小遣いを稼いで家計を助けてたの。

 若くしてむっちゃ働いてたんですね。

ゆい でも、勉強もよくする子だったから学校の成績も良かったのよ。歌もできたし、なんでも一番って感じね。

 それはすごい! 優等生なゆいさんの、最初の恋愛はどんな感じだったんですか?

ゆい そんな感じだったから、学校の先生からも気に入られててね。24歳になったときに、中学時代の先生が「お前の結婚の相手は俺が決める」って言ってお見合いさせたのよ。

 そんなことあります!? 先生がお見合いセッティングするんですか?

ゆい そう。先生が「すごいいい男がいる」って言うから。それで先生と先生の奥さんと私の3人で喫茶店で待ち合わせして、現れたのが、ユキオ。小樽の警察官だったよ。

 すごい話だな〜! 昭和すぎる!!

7人兄妹の実家で警察官・ユキオと同居生活!

 ユキオさんと会ったときの第一印象は?

ゆい もう、ひと目惚れよね! 私、その場でお母さんに電話をかけたの。「お母さん、すごい人に会ったよ」って。それですぐにお母さんに会わせたの。ユキオが「警察寮のごはんがおいしくない」って言うから、お母さんが「じゃあウチに住んじゃいなよ」って。そしたら本当に荷物持って家に来たの。

 なんで全員が全員、急展開なんすか。

ゆい お母さんは「兄妹7人もいるんだから、ひとり増えたところで変わらないでしょう」って。それからはユキオも兄妹のように一緒に育ってね。お母さんはそのあとすぐに死んじゃうんだけど「あなたはユキオと一緒になりなさい」って言ってくれてね。それで、お母さんの言うとおり私はユキオと結婚したわけ。

 最後に背中を押してくれたんですね……でも兄弟みたいに育ったら恋愛関係になるのは難しくないですか?

ゆい そうなのよ。お兄ちゃん4人とユキオで、いつも麻雀とかして遊んで、本当に兄妹みたいな感じだったから。結婚してからも、しばらく兄妹みたいな感じよ。

 それは、イチャイチャとかはなく「ちょっと気まずいなあ」みたいな感じ?

ゆい そうそう、エッチなことなんてできないのよ。そこからユキオが東京に転勤になって、一緒に私も家を出たの。24歳のときだったかな。

 おお! ユキオさんはどんなふうに接してたんですか?

ゆい 「世界一のいい女だ」って言ってくれたよ。

 ヒュ〜〜〜!!

夜の営みも「明るく清く正しく美しく」

 そこからついに、ふたりだけの結婚生活がはじまるんですね。

ゆい そう。でも、兄妹みたいな感じが長かったから、恋愛関係はうまくいかないわけよ、不思議なもんで。だけどよくよく間近で見たら「やっぱりこんなにいい男はいない」と思って。それでパパ(ユキオさん)とも夫婦の生活ができるようになってね。

 おお、ようやくだ!

ゆい いつも抱っこしてくれてね……そんな激しいもんじゃなくて、優しく清く正しく美しく。

 学校のスローガンみたいだ……ユキオさんとの思い出に残ってるデートとかはありますか?

ゆい どこ行ったって同じなのよ。大好きだから。どこ行っても抱っこしてもらって、チュッチュチュッチュして。毎日そういう生活だよ。娘も生まれてね、パパも死ぬほど喜んでた。

 幸せだなあ。ちなみにどんな営みだったんですか?

ゆい パパは警察で柔道をやってたからね、キン肉マンよ。だからこう、ぐっ!とこうやって……。惚れ惚れするよ。こんな人、他にいないなって今も思うね。

抱き寄せて持ち上げるような動作をするゆいママ。いつも当たり前のようにふたりで過ごし、当たり前のように愛し合っていた、という。「甘えん坊同士だったからね…」と少し照れながら教えてくれた。

 ラブラブっすね〜!!!

ゆい そう。夜も明るく清く正しく美しく、ね。

 スローガン繰り返してくれる。

32歳で膵臓がんに……夫との突然の別れ

 ゆいさんにとって、ユキオさんは最高の夫だったんですね。

ゆい そう。あんな人、どこ探してもいないよ。優しくて絶対に怒らないし、正義感も強い人だった。でも、やっぱりいい人は早く死ぬようになってるんだよね……結婚して5年くらいして、がんで死んじゃったの。

 えっ……早すぎる……。

ゆい 私が29歳のときだから、パパが32歳のときにね。娘が背中に乗って遊んでたときに「背中が痛い」って言うから病院に連れていったの。そしたら膵臓がんで「あと2週間で死にます」って言われて。もう、なにがなんだかわからなくて。本当に、そこから2週間しか持たなかった。

 ええ……。

ゆい そこからはいっさい、恋愛をしていないの。言い寄られても、男として見れないのよ。パパみたいな人はもういないから。そこからは今日まで恋愛もせず、男も作らず、ずっと仕事一筋です。

 「もうあんな人は現れない」って、受け入れたんですね……。

ゆい そのときは娘もまだ5歳だった。パパの忘れ形見だよね。その娘のために大学も入れてあげなきゃいけないし、全部私がやらなきゃいけないからね。

 ゆいさん、ずっと他人のために頑張ってきたんですね……かっこいいです。

お花の先生、喫茶店、ブティック…まさかの商才が炸裂!!

 ユキオさんが亡くなってからはどうやって生計を立ててたんですか?

ゆい パパが死んでから2か月経って、最初はお花の先生をはじめたの。フラワーデザイナーの検定も持ってたから、団地のお母さんたちを集めてね。それでお客さんが集まったから、すぐに喫茶店を開いたの。ちょうど保険屋さんが入ってるビルの一階が空いてたから、「保険のセールスレディたちがお客さんを連れてこれる店にしよう」と思って。

 え、すご……なんか急に商売の話になりましたね、もしかして商売上手な方だったんですか?

ゆい そうなのよ。で、喫茶店の奥にブティックも作って。そこに上の階の保険屋さんから、男性がセールスレディと一緒にやってくるのよ。あんまり言っちゃいけないんだけど、当時の保険の営業って“そういう感じ”だったから。それでお店でお茶出して、ご飯を食べさせてね。セールスレディと仲良くなりたい男性は、ブティックで服とかも買ってあげるわけ。

※デート商法は感情に訴えかけ相手を思うように操作をすることから、場合によっては詐欺とみなされることがあります。現在、日本では特定商取引法に基づいて規制されており、違法な勧誘行為として取り締まるケースも少なくありません。 (引用元)https://mikata-ins.co.jp/lab/scam/110824/

 そこの商談が盛り上がるように、喫茶店とブティックを提供してたんですね……。キャバクラの近くに花屋があるみたいな話だ……。

ゆい そう。それが一番儲かってたときで。でも、続かなかった。

 え、なにがあったんですか……?

大成功から一転…小切手を盗まれ、1億6000万円借金生活

ゆい ある日、常連の社長さんがお店に来てるときにね、「ちょっと留守番しててね」って私がお店の外に買い物に出ちゃったのよ。その5分くらいの間に、引き出しの中を漁られて、小切手の手形を盗まれちゃった。そこに社長さんが、自分の会社の借金を全部書いて、私のハンコを押したの。1億6000万円分。

 え〜!!! 1億6000万!!!???

ゆい もう、なにがあったのかわからないのよ。それで、パパが入院していたときにガン保険で建てたお家を売ったの。その売却価格が一億円。せっかく建てた家をとられて、それでも借金がまだ6000万円残ってる。

 マジ半端ない事件起きましたね、壮絶すぎる……。

ゆい そこからも必死で働いたよ。お店も取られちゃったから。次は北千住で……無尽のお店をやっていたの。

 無尽?ってなんですか?

ゆい たとえばここに500万円があるとするでしょ。そこで、参加者がひとりずつ欲しい金額を紙に書いて入札する。それで、書いた金額が一番低い人がその額をもらえるのよ。たとえば「150万円」って書いた人が一番低かったら、残りの350万円は参加者全員で負担する。だからギャンブルの要素もあるよね。……まあ、何十年も昔の話だから今はもうやっているお店はないだろうけど、当時はそういう時代だったのよ。

 へ〜知らない世界すぎます……。その次はなにをやったんですか?

ゆい そこからは今で言う、クラブのお店ね。50人くらい入る大きめなお店で、螺旋階段なんかもあってね、女の子も15人くらい雇ってね。とにかくずっと働いてるのよ。

 それは感じます、借金でも全然めげないですよね。

ゆい それで、だんだん歳をとってきたからお店の螺旋階段を登ったり降りたりするのも危なくなって、小さいけど今のお店に引っ越してきたわけ。業態もクラブじゃなくてスナックにしてね。それで今日まで一日も休まず、働きっぱなし。残りの6000万円の借金も完済したの!

 借金返し終わった〜!?!! ゆいさん、マジでタフすぎます!

不安なとき、苦しいときに心で叫ぶ「パパ、助けて」

 結局ユキオさんが亡くなってからは、一度も恋愛をしなかったんですね。

ゆい そう。男も作らず今日まで来ました。でも寂しいねえ。やっぱり男のひとりやふたり、ご飯でも食べに行けばよかったと最近になってしみじみ思うねえ。真面目すぎちゃって、バカみたい。

 あ、デートもしなかったんですか!?

ゆい してないわよ。パパが死んでから、一度も。でもコロナで不景気になって、お店も儲からなくなったときに、やっぱり寂しいから話ができる人がいればよかったなあって思ったよ。

 そうかあ……人生、ずっと仕事一筋ですもんね。

ゆい 具合悪くても、どんなことがあっても店は絶対来るから、へこたれないの。

 お店での商売自体が、ゆいさんの支えにもなっているんでしょうね。

ゆい でも、みんないろんなことがあって、楽しそうだなあって思うのよ、最近ね。毎日お店に来て仕入れをやって、きちっと準備してお店を開けて、っていうのを毎日やってるとね……遊ぶことなんて考えられなかった。お客さんが来ないときも毎月、月末の支払いがあるって考えるとやっぱり気苦労もするしね。毎日それだけだよ。

 今でも、ユキオさんのことを思い出したりしますか?

ゆい 毎日、思い出してるよ。お客さんが来なくて不安なときは「パパ、助けて」って心の中で叫んでるよ。

 そうなんですね……。

ゆい パパが生きてるときにね、「君は明るい人だから、人が集まってくるような仕事をするんだよ。応援するよ」って言ってくれたから。だから私はその言葉で頑張れた。娘にも苦労をかけたくないしね。だから「ママは元気だよ、毎日幸せだよ」って言ってる。ママが苦労した話なんて聞かせたくないじゃない。もう孫もいるしね、心配はかけられない。

 ユキオさんとの、大事なお子さんですもんね。

ゆい 娘ももう50歳なんだけどね(笑)。娘がさ、「世界一のお母さんだよ、こんなお母さんいないよ」って言ってくれるの。私はもうそれだけでいい。他になにもいらない。

 むっちゃいいですねその言葉……すごい人生だ……。

ゆい 本当によくやってると思うよ、自分でもね。毎日感謝してるから。手を合わせて、朝も寝る時もね、感謝して寝てる。パパのおかげでもあるし、支えてくれるみんなのおかげだよ。

取材を終えて

北海道で7人兄妹の長女として生まれ、両親の離婚、兄妹の母代わりとして育ち、中学時代の先生の紹介でお見合い後すぐにお相手と同居。ここまででも珍しい人生なのに、上京後には夫の死が訪れ、会社経営をしていたのに、騙されて1億6000万円の借金。

こんなにも波乱万丈なのに、自分の人生を振り返ったとき、ゆいさんの口からは泣き言や恨み言が出てこない。そこに夫や娘から「世界一」と言われるだけの器量を見ました

また、もういない夫への切なさとともに、「世界で一番愛してる人に、世界で一番愛された過去がある」という思い出の質量も感じました。だからずっと頑張ってこれたんだ……としんみりしちゃいました。

今では考えられない昭和のむちゃくちゃな展開を感じながらも、愛に溢れたエピソードが聞けて……やっぱこの取材、クセになる〜!

それでは次回のご長寿猥談で〜!!

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佐伯ポインティ

(さえき・ぽいんてぃ)マルチタレント。1993年生まれ、東京都出身。早稲田大学文化構想学部卒業後、株式会社コルクに漫画編集者として入社。2017年に独立し、猥談系Youtuberとして活動をスタート。18年には日本初の完全会員制「猥談バー」をオープンした(現在は閉店)。24年7月からは「佐伯ポインテ..