笑顔は、自由であってこそ“希望”と呼べるのかもしれない。
『スマイリー』(日本文芸社)は、「笑顔によって人は幸せになれる」という教義を掲げる新興宗教「心笑会」を舞台に、笑顔を強制される人々と、その人間関係を描いた物語だ。作者・服部未定が本作を描いたきっかけは、幼少期から抱えていた「他者の表情への違和感」と、“宗教2世”との出会いだった。
なぜ笑顔が怖かったのか? なぜ描く対象が宗教だったのか? 「笑顔が押しつけられるものだった」という原体験に始まり、家族との関係、自身の幼少期の記憶、そして“顔色を読む”ことを強いられてきた人生につながっていく。
キャラクター造形の背景、現実とのリンク、そして本作が“宗教マンガ”ではなく“人間ドラマ”であることを本人が語る。
『スマイリー』 (服部未定/日本文芸社)
娘を亡くし、妻にも見捨てられたライター・鴨目。人生のどん底で出会ったのは「笑顔」を教義とする宗教団体「心笑会」だった。コミックス11巻で完結し、実写映像化も発表された。著者の服部未定(はっとり・みてい)は年齢や素性を非公開にしており、『スマイリー』が初連載作となる

※この記事は『クイック・ジャパン』vol.178に掲載されたインタビューのロングバージョンとなります。
幼いころの恐怖心「ずっとビクビクしていた」

──『スマイリー』は新興宗教をモチーフにしている作品ですね。まずはこの理由についてお聞きしたいです。
本作を描くきっかけになったのは、とある女性との出会いです。彼女はアルバイト先の気になる存在で、話しているうちに“宗教2世”だということが分かりました。あるとき僕のほうから食事に誘ったところ、宗教上の理由で断られてしまって。
それから宗教に関する話を聞いていくうちに僕も興味を持ち始めたというか、宗教というものを意識するようになっていったんです。それまで宗教とはほとんど無縁でしたから。
──その方と関係を構築していくのには高いハードルがあったのでしょうか?
そうですね。僕はマンガや映画が大好きなのですが、彼女は親御さんの言いつけで、幼いころから娯楽に触れることを完全に禁止されていたそうです。
だから彼女と話す内容は、自然と宗教にまつわるものになる。でもあるときに彼女が、実は隠れてYouTubeを観ていることを明かしてくれました。隠れてしか観れないわけです。
それでも彼女としては親御さんを大切に想っているから、決して離れることはできない。これは宗教の問題というよりも、家族関係の問題じゃないのかと気がつきました。
──切っても切れない特別な関係なのだと。
はい。それから本作は、僕自身が他人に対して抱く違和感のようなものが基点になっています。うちの親もかなり厳しくて、幼いころの僕にとっては怖い存在でした。自宅ではつねに怒っている親だったんです。
でも周囲の人々はそんな親のことを「優しいね」と言うし、家の中と外ではまるで別人のように顔が違う。そのことに気がついた僕の中で生まれた気持ち悪さみたいなものがずっと残っていて。
この気づきから、他人の表情をすごく意識するようになりましたね。みんないろんな表情を使い分けているのだなと。
──幼いころに芽生えた恐怖心、分かる気がします。
それからというもの、とにかく他人の顔色を気にするようになりました。思えば、子供のころはずっとビクビクしていた気がします。
笑顔って基本的に良いものであるはずなのに、怖いもの、気持ち悪いものだという認識が僕の中にはあったんです。自分の中に芽生えた感覚が、意識的にも無意識的にも『スマイリー』には反映されていると思います。
それに本作は新興宗教をモチーフにしてはいますが、もっとも描きたかったのは人間ドラマです。読者の方の中には、“家族の物語”や“親子のお話”と捉えている人も多いようですね。
「他人の顔色ばかりうかがってきた」表情にこだわる原点

──服部さんの人間の表情というものの捉え方は、登場人物たちの豊かで複雑な表情にあらわれていると感じます。
キャラクターの表情に関してはかなりこだわっているので、すごくうれしいです。
本作を描くうえで意識していたのは、実は映画などの絵コンテなんですよ。いろんな方から「シンプルに描いている」と言われるのですが、それは絵コンテのようなつくりだからなのかもしれません。
セリフはできるだけ削ぎ落として、各コマごとの登場人物の表情で語っていく。これが僕のスタイルというか、純粋に好みなんですよね。あまりセリフで説明したくないですし、マンガはリアクションこそが重要だと考えています。
──“リアクションこそが重要”という言葉には、強い説得力を感じます。本作はとにかく顔のアップが多いですが、何か影響を受けている作品などありますか?
ドラマの『半沢直樹』や『下町ロケット』(共にTBS)あたりですかね。どちらも画づくりとして顔のアップが多くて、表情で語っていく作品じゃないですか。個人的にすごく好きなんです。今思えば、参考にしているかもしれません。
──まさかの「日曜劇場」なんですね。
そうなんです(笑)。セリフももちろん大切ですが、やっぱり表情で語っていく作品に惹かれますね。他人の顔色ばかりうかがってきた自分だからこその視点なのかもしれません。いまではこれが自分の特色というか、強みのようなものになっています。

──経験が作品に反映される。とても興味深いお話です。
登場人物たちに関しても、そうかもしれません。「心笑会」のトップに立つ笑嫣(しょうえん)というキャラクターは、他者を支配しようとする存在です。あれはほとんど無自覚のうちに、僕の兄をモデルにしていた気がします。
うちは親だけでなく、兄も僕に対して異常なほど厳しかったんです。ずっと上司と部下のような関係で、ほんの数年前まで敬語を使っていたほどです。
兄には幼少期から虐げられてきたので、「この人には逆らえない」といつも怯えていましたし、自分は弱い人間なのだと刷り込まれていた。一種の洗脳状態にあったと思います。
信仰と物語の境界線、「心笑会」が描く現代のリアル
──本作は宗教2世の方々や、過去に特定の宗教を信仰していた方にとって、非常にリアリティがあるという声を耳にします。
たしかに、そういった言葉をいただきますね。「LINEマンガ」ではコメントを見ることができるので、当事者の方の声などはすべてチェックしていました。
新興宗教をモチーフにすることへの恐怖心はもちろんありましたし、波紋を呼ぶ作品だと自覚もしていました。でもいまのところ苦情のようなものは届いていません。正直なところある程度は覚悟していたので、僕も担当の編集さんも、ちょっと驚きました。
──『スマイリー』の連載は2021年の11月に始まりましたが、翌年の7月に首相が銃撃される事件が起きて、宗教の問題で世間は騒然となりました。本作と現実社会とのリンクについてはどう考えていますか?
うまく言葉にするのが難しいのですが、あの事件によって、この作品に関心を持ってくださる方が増えたのは事実です。ただやはり人が亡くなっているので、非常に複雑な心境でした。

──連載を続けていくうえで、あの事件が作品に何かしらの影響を与えましたか?
それはないと思います。あのような事件が現実世界で起きてしまったからこそ、あまり意識しないようにしていたので。
意識してしまうと、事件をなぞることになってしまいかねない。事件の容疑者のことを調べ始めてしまったら、登場人物に影響してしまうとも考えていました。連載開始時の構想を崩さないように、事件とはできるだけ距離を取っていましたね。宗教をモチーフにした他の作品との関係においてもそうです。
──あえて遠ざけていたのですね。本作の“人間ドラマ”の側面にフォーカスしたとき、信仰心から罪を犯す者たちに対して、安易に断罪することはできないと思いました。個々に複雑な事情があるものだなと。
それぞれのキャラクターの心の動きやバックグラウンドを丁寧に描こうと心がけていました。基本的に「心笑会」は支配的な存在です。でも、最悪なだけにはしたくなかった。
宗教を拠り所にしている方たちは実際にいるわけで、そこであの人々は幸せを感じている。血の繋がり以上の特別な繋がりがあったりもする。そのことをきちんと描かなければならないと思っていました。「心笑会」の信者たちのことを身近な存在として、ずっと考えていましたね。
──「心笑会」には経典がありますが、あれはどのようにして生まれたのでしょうか?
笑顔ってよいものであるはずなのに、同時に気持ち悪いものでもあるとお話ししましたが、なぜ気持ち悪いのかというと、社会や他者との関係性の中で、それが押しつけられたものだったりするからです。
この“押しつけ”を描きたかった。いくらポジティブなものでも、押しつけられたとたんに、よいものではなくなる。宗教を描くうえで経典は欠かせません。
そこでどのようなものにしようかと考えたときに、笑顔を強いるようなものが生まれました。「心笑会」は強い言葉で、信者に笑顔を強要するんです。
──見方によっては、「心笑会」の経典はまともなものだとも感じます。
そうなんですよね。繰り返しになりますが、押しつけられると気持ち悪いものになるだけで、笑顔って基本的によいものですから。他人の表情をうかがうことなく、自然と笑顔になれたらいいですよね。