放送作家&俳優に憧れ出会ったふたりが、コント師・ラブレターズになるまで。「結成当初はテレビで放送できないアングラ演劇のようなネタばっかり」【1万字インタビュー前編】
『キングオブコント2024』で優勝したラブレターズ。2011年、当時最年少で『キングオブコント』ファイナリストになるも、優勝までの道のりは決して順風満帆ではなかった。そんなふたりの半生を振り返る1万字インタビュー。
前編では、放送作家を目指した塚本直毅と役者志望だった溜口佑太朗の出会いから「ラブレターズ」結成までの経緯、そして最年少で『キングオブコント』ファイナリストになるまでを語る。
ラブレターズ
溜口佑太朗 (ためぐち・ゆうたろう/1985年1月19日生まれ、埼玉県出身)と塚本直毅 (つかもと・なおき/1984年12月28日、静岡県出身)によるコンビ。2009年4月に正式にコンビを結成、『キングオブコント2011』で決勝初進出、『キングオブコント2024』で優勝
目次
一番うれしかったのは、バナナマン設楽からの「おめでとう」
──『キングオブコント2024』優勝から約1カ月経ちましたね。(取材は11月上旬に実施)
塚本直毅(以下、塚本) いまだに毎日3つくらい仕事があるので、それだけでこれまでとは全然違います。
溜口佑太朗(以下、溜口) テレビもたくさんありますけど、ラジオと取材がめっちゃ多いですね。でも直後はもっと、本当にヤバかったです。
塚本 『サンデージャポン』(TBS)とか『アッコにおまかせ!』(TBS)とか、完全に視聴者として観てていた番組に呼ばれて。
溜口 その合間に、控室とかで情報番組で流すコメントのVTRを撮ったり。
塚本 時間がなさすぎて、申し訳ないけど着替えながらインタビューに応えたりもして。人生初体験の連続です。
溜口 まぁでも、今までずっとお休みしていたようなものだったので。人生で一回くらいね。
──優勝して何が一番うれしかったですか? この質問は何度もされているでしょうから、同じ答えでもいいですよ。
塚本 気を遣っていただいて(笑)。じゃあ遠慮なく、『ノンストップ!』(フジテレビ)で憧れのバナナマン設楽(統)さんに「おめでとう」って言われたことです。
溜口 憧れの先輩たちと、面と向かって話ができるだけでうれしいんですよ。今までもテレビ局ですれ違ったり、大勢いる中でちょっとした共演はあったとはいえ。
塚本 僕らがメインで呼ばれているのが、ただただうれしい。
溜口 あとは、タクシーで移動するようになって、テレビで聞いていた「タクシーあるある」がやっとわかりました。タクシーでだけ流れてるCMってこれかぁ……って。
塚本 僕なんか今まで基本チャリで移動してたのに。
溜口 キャバ嬢からもらったチャリね。
塚本 太客のおじさんからもらったけどいらないっていうので、いただきました。
溜口 そんな塚本さんも、今では平然とタクシーについている充電器使ってます。ちょっと前までタクシーに充電器がついていることさえ知らなかったのに。
塚本 あれは便利ですね。
溜口 街で声かけられるのも、お笑いファンとかではない、主婦の方とかで。それもうれしいですね。
塚本 僕に声かけてくれるのは、もっぱらおじさんですけど。
優勝後に「そっちのネタやってれば優勝できたかもしれないね」
──バラエティ番組でも、これまでとは違う出方になって、役割分担とかは?
溜口 体を張るお仕事はすべて塚本さんです。この前もお相撲さんと並んで大食い企画やってきました。
塚本 力士、力士、ギャル曽根、塚本という並びで。もはや職業体験ですね。
溜口 ただ、優勝すると、どういう仕事が来るのかはある程度わかってたんですよ。というのも、僕ら『キングオブコント』の決勝に出るのは5回目で。決勝に進出した時点で、先々のスケジュールが「(仮)」で埋まるんです。そこに番組名とかも書いてあるので、4年分のパターンを見てきてる。
塚本 4年分の「全バラし」を味わった経験を経て、初めて「(仮)」が「(決)」になりました。
溜口 毎年チャンピオンが出場する『SASUKE』にも行ってね。
塚本 『SASUKE』の収録日、溜口さんは前々からモルックの仕事が入っていて、マネージャーさんは(同事務所の)阿佐ヶ谷姉妹の単独ライブに駆り出され、僕ひとりで行ってきました。
溜口 相方もマネージャーもいなくて、たったひとりで『SASUKE』に挑むっていう。
塚本 現場では「なんでひとりなの?」って、何人にも聞かれました。
溜口 事務所もまさか優勝するとは思っていなかったので、圧倒的に人員が不足しています。でもそれは僕らも同じで。負けグセが染みついてる。
塚本 一番びっくりしたのが、優勝した直後、スタッフさんと「もうひとつ用意してたほうのネタもやりたかったですね」って話していたら、横にいた溜口さんがマジのトーンで「そっちのネタやってれば優勝できたかもしれないね」って言ったんですよ。
溜口 あれは怖かったね。
塚本 いやいや、優勝してるから!
溜口 『キングオブコント』のあとは、いつも後悔と反省がセットなので、優勝したという認識ができないまま、自然とそう言ってました。
塚本 でもそのくらい、この優勝という状況に現実感がないのはたしかです。
日本大学芸術学部で全力テニス、シングルスで三連覇
──ここからは、現在に至るまでの話、おふたりの思春期くらいまでさかのぼりたいのですが。
塚本 お笑いでいうと、小学校の高学年から中学生のときに『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)とか『ボキャブラ天国』(フジテレビ)を観ていて、そこから『爆笑オンエアバトル』(NHK)でネタのおもしろさを味わい、どんどんお笑い好きになっていった、という感じです。『オンエアバトル』のバナナマンさん、おぎやはぎさん、ラーメンズさんは特に衝撃でした。
溜口 その3組がテレビでネタやってたんだもんね、すごい時代だよ。
塚本 ただ、深夜番組だったので、クラスのみんなが観ているというわけではなく、中学の同級生で深いお笑いの話をできたのが、今うるとらブギーズというコンビで活動している佐々木(崇博)くんでした。
溜口 佐々木さんとはいまだに近所に住んでるもんね。
塚本 徒歩1分の距離に住んでます(笑)。そこから『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で芸人やテレビの裏話を聴くようになって、お笑い業界に興味を持つようになりました。でも、自分は表に出るタイプではないと思っていたので、芸人ではなく、放送作家のほうがいいなと。それは佐々木くんも一緒で、ふたりで「放送作家いいよね」って。
溜口 でも高校ではテニスにハマったんでしょ。
塚本 中学でもテニス部だったんですけど、中学のときは軟式テニスで全然弱かったのに、高校で硬式テニス部に入ったら急に強くなったんです。佐々木くんと高校は別になったこともあり、学校にお笑いの話をできる友達もあんまりいなくて、それでテニス一本に。
──塚本さん、高校時代には『ハモネプリーグ』(フジテレビ)に出場してますよね?
塚本 アカペラもちょっとやってましたけど、主にはテニスです。
溜口 大学でもテニスやってたもんね。
塚本 高校を卒業して、放送作家への憧れはまだあったので、1浪の末に大学は日本大学芸術学部、いわゆる日芸に入るのですが、日芸でも本気でテニスやってました。
溜口 気持ち悪っ! 浪人して日芸に入ってテニス本気でやるってなんだよ。
塚本 『全芸杯』という芸術系の大学統一選の大会があるのですが、シングルスで3連覇、ダブルス・団体でも2連覇しました。(塚本『テニスの思い出。』/note)
溜口 なんだその好成績。放送作家の夢はどうした。
影響を受けた『爆笑問題カーボーイ』と阿部サダヲ
──溜口さんとは日芸で知り合っているんですよね。
溜口 塚本さんとは年齢は一緒なんですけど、僕は現役だったので大学では1個上の学年で、映画学科の演技コースにいました。塚本さんは文芸学科で、俳優志望にこういう風貌の人はなかなかいないので、生徒の自主制作映画に塚本さんがちょいちょい出ていたんです。その流れで知り合って、文芸学科なのに役者として出てるし、テニス本気でやってるし、なんだこの人は?って感じでしたね、最初は。
塚本 文芸学科で友だちができなかったんですよ。代わりに、映画学科の人たちからなぜか役者として呼ばれることが多くて。それ以外はひたすらテニスです。あ、でも放送作家のスクールにも通ってました。無料のところにふたつぐらい通いましたけど、全然ダメでしたね。テニスは優勝できるのに、作家の成績は底辺っていう。
──大学時代、お笑いのライブに行ったりは?
塚本 佐々木くんが大学を1年で中退して、吉本の養成所に入ったんです。それで、たまにライブとかにも出ていたので、お笑いライブは佐々木くんが出ているのをずっと観に行ってました。
──溜口さんは、どんな思春期でしたか?
溜口 テレビのバラエティと野球が大好きで、塚本さんと同じく『ごっつええ感じ』とかも観て、野球部で汗を流す普通の野球少年でした。お笑いに夢中になったのは、『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)の影響が大きいかもです。高校生のときには番組宛にメールを送ったりもしていて、爆笑問題のおふたりが日芸出身というのもあって、日芸に入りましたから。
──演技コースを選んだのはどうして?
溜口 単純に目立ちたがりでミーハーだったんですよね。高校時代は文化祭でネタやったりもしていて、人前に立つことは好きだったし、裏方よりは表に出たいなと思って。
──その当時は、どんな俳優を目指すというか、イメージしていたのでしょうか。
溜口 阿部サダヲさんですね。兄がすごい演劇好きで、その影響で「大人計画」とか「ナイロン100℃」の舞台を観ていたので、正統派の俳優ではなく、演劇的な笑いも取れる個性派に憧れていました。
──演劇のほうに興味があったんですね。
溜口 大学時代は、つかこうへい劇団の養成所にも通っていました。そのあと、20歳のときに、まわりが就職するか映画などの道へ進むのか考え出したタイミングで、僕は小劇場のオーディションを受けていたんです。そんなころに「拙者ムニエル」という劇団でも募集があり、受けてみたら合格して、劇団員になりました。
──2004〜2005年ごろの「拙者ムニエル」は、本多劇場でも公演する勢いのある劇団でしたね。
塚本 なので、僕が知り合ったときは「拙者ムニエル」の劇団員で、在学中から有名な劇団に所属していて、すごい人だなと思ってました。
溜口 これで卒業後も安泰だと思っていたんですけど、卒業してちょっとしたら、劇団の事務所が倒産しちゃったんです。
2008年ラブレターズ結成。ダークでアングラ演劇のようなネタ
──おふたりとも就職活動はしなかったのですか?
溜口 僕は劇団員もやりながら、民放各局のアナウンサー試験を受けまくりました。そして、全部落ちました。なので、劇団がなくなったあとはフリーターですね。
塚本 僕は卒論でコントを書いたんですよ。論文じゃなく、ひたすらコントだけを書いて、なぜか無事に卒業できた。放送作家のスクールに通っていたときも、コントの案出しだけは楽しかったので、いつかコントやりたいなとぼんやりは思っていました。ただ、大学卒業したあとは、ラーメン屋で働きまくってました。
溜口 それで、塚本さんが大学を卒業した次の年、2008年に『キングオブコント』の第1回が開催されるっていうので、出場するために、ふたりでコンビを組んだんです。
塚本 自分はラーメン屋で働いているのに、その時点で同級生の佐々木くんはもう芸歴4年目とかになっていて。これはまずい、とりあえず『キングオブコント』には出なきゃと思って、相方どうしようかなと考えたときに、思い浮かんだのが溜口さんだったっていう。
溜口 大学時代に、深夜ラジオとか芸人のネタの話とか、けっこう深い話ができるなとはお互い感じていたんですよね。
塚本 溜口さんが出る劇団の公演を観に行ったこともありましたが、言っても新人の下っ端だったので、全然いい役をもらえてなくて。おもしろいのにもったいないな、とかは思っていたので。
──いざ『キングオブコント』に出場してみて、感触はどうだったんですか?
溜口 当然のように1回戦敗退です。
塚本 まったくダメでしたね。ただ、予選で観たバナナマンさんのコントが衝撃的で。それまでも視聴者としてネタは何度も観てましたけど、実際に同じ出場者として間近で観ると、当たり前ですが、次元が違いました。そこでかなりやる気をもらって、一生懸命コントをやろうと。
溜口 それで、2009年に正式なコンビとしてラブレターズを結成しました。
──結成初期は、どんなネタをやっていたんですか?
溜口 めっちゃダークでしたよ。最初からネタは塚本さんが担当で、テレビではとても放送できないような、アングラ演劇みたいなネタばっかり書いてましたね。そもそも「ラブレターズ」という名前は、ネタがあまりにダークなので、せめてコンビ名だけでもポップにしようってことでつけたんです。
塚本 そのころはシティボーイズさんに影響を受けていたので、舞台だからこそできるダークでシュールな笑いがかっこいいと思っていたんですよね。あとは、バナナマンさんとおぎやはぎさんのユニットコント番組『epoch TV square』(BS日テレ)をDVDで観まくっていて、その影響もありますね。
『西岡中学校」のネタがとんでもなくウケて、「あ、人生変わっちゃう」
溜口 これはいろんなところで言ってますけど、コンビを組むときに「あなたを輝かせるネタを書きます」って塚本さんが言ったんですよ。だから、どんなネタであろうと、僕はそれを信じるしかなかった。
塚本 溜口さんは演技経験もあったので、最初から今の感じに近くて、けっこう出来上がってたんですよ。なので、足りないのは僕が書くネタだけで。好きな笑いはもちろんやりたいけど、そればっかりじゃダメだと思って、試行錯誤の末にできたのが『西岡中学校』というネタです。
──その『西岡中学校』で2011年、結成3年目にして『キングオブコント』の決勝に進出すると。
塚本 さすがに決勝までは考えてなくて、とりあえず準決勝までいって、名前だけでも知ってもらおうと思っていたら、準決勝で『西岡中学校』がとんでもなくウケたんです。もう信じられないくらい。
溜口 あのウケ方は今でも忘れられないね。「あ、人生変わっちゃう」って本気で思いましたから。最初に『西岡中学校』のネタをやったのは、かもめんたるさん主催の『トン子』っていうコントライブだったよね。
塚本 そうそう。僕ら2011年に今の事務所ASH&Dコーポレーションに所属することになるんですけど、吉本さんみたいに劇場を持っているわけではないので、K-PROさんとか先輩芸人の主催ライブとか、いろんなライブにひたすら出まくってました。
──初出場の『キングオブコント2011』は、7位という結果でした。
塚本 7位でもうれしかったですよ。大舞台でネタができたことだけでだいぶ満足でした。
溜口 出場者の中でも最年少でしたからね。まだよゆうもあった。
塚本 このあと、最年少ファイナリストということで、テレビのバラエティ番組とかに呼ばれてトークをすることになるのですが、僕らその時点で芸人としてちゃんとトークしたことなかったんです。ただネタをするためにライブに出ているだけで、トークライブとかも1回も経験なくて。
溜口 なのに、いきなり品川庄司さんのトークライブに呼んでいただいたりしてね。当然フリートークはできないし、エピソードトークもなければ、特別なキャラもないしで、大変でした。
塚本 ライブに出ても、芸歴3年目なのに“『キングオブコント』ファイナリスト”という目で見られてハードルは上がってるし、『西岡中学校』のイメージが強すぎて、それ以外のネタをやってもまぁウケない。
溜口 『西岡中学校』じゃないにしても、歌とかラップのネタを求められて。
塚本 なので、決勝に行けたことはうれしかったですけど、呼ばれた先でハネない、ライブでネタもウケない、そんな状況にはけっこうまいってました。
後編は12月19日(木)19時公開予定
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