「ヒプマイはヒップホップか否か」問題を音楽面から徹底分析
2019年のヒットコンテンツを語る上で外すことのできない『ヒプノシスマイク』。キャラクターがあり、声優がラップして、リリックは提供されている『ヒプマイ』について考える上で避けられないのが、「ヒプマイはヒップホップか否か」という問題である。
ここでは、ヒップホップに造詣が深い音楽ライターの高木“JET”晋一郎氏がその問題について分析したコラムをお届けします。
※本記事は、2019年4月25日に発売された『クイック・ジャパン』vol.143掲載のコラムを転載したものです。
2019年のHIPHOPとヒプノシスマイク
「2019年のHIPHOPとヒプノシスマイク」を考える上で避けられないのは「ヒプマイはヒップホップか否か」という問題だ。ヒプマイというプロジェクトがはじまったとき、その「ヒップホップ性」が問題になるのではないか、と懸念したが、コンセプトを表したタイトルからして『ヒプノシスマイク-Divison Rap Battle-』、つまり「ラップ・バトル」であり、決して「ヒップホップ・バトル」ではない、という前提から始まっていたことが興味深かった。
それは昨今のMCバトル・ムーブメントをインスピレーション源にしたこともあるだろうし、USにおいてもヒップホップよりも「ラップ」という表現が普遍化していることを意識してかもしれない。また「ヒップホップか否か」という問題について、一定の距離を予め置くことを意図していたのだとしたら、それは現在のところ成功しているだろう。
「リアル」をめぐるふたつの目線
では、その上で「ヒプノシスマイクはヒップホップか否か」。それについて筆者にとって非常に合点のいく答えを、Fling Posse・麻天狼『Fling Posse VS 麻天狼』収録の「BATTLE BATTLE BATTLE」のリリックを提供したKEN THE 390が答えている。「キャラクターは”ラッパー”として、その世界の中にしっかり存在している」「(リスナーは)『ヒプノシスマイクの世界におけるリアル』をみんな信じてる」(LDニュース http://news.livedoor.com/article/detail/16140697/ より抜粋)。
つまり「ヒプノシスマイクという世界」においては、キャラクターは実際に存在しているし、その世界を供給する側と受容する側が、これを「リアル」とする合意を持っている、ということだ。
「ヒップホップか否か」という議題においては、社会性やバックグラウンドなど、さまざまな要素が検討材料になるが(ただ、それが公平/客観的とは限らない)、大きな要素として「リアル」の問題が取り上げられることが多い。つまり、リリックに「その人性」が現れ、その表現が「リアルなのかフェイクなのか」。ゆえに、経歴の詐称や、リリックのゴーストライターの存在が問題になることも少なくない。
その意味では、「ヒプマイ世界の外側」から見れば、ヒプマイは「キャラクターがあり」「声優がラップし」「リリックは提供され」そこにリアルは存在しない。そのためヒップホップ・リスナーこそ、ヒプマイに乗りづらいという現象が生まれる。
しかし、「ヒプマイ世界の内側」から見れば、シンジュクやヨコハマといった街は存在し(これが現実の新宿や横浜ではない事も重要だろう)、山田一郎や碧棺左馬刻といったキャラクターたちはその街で息づき、ラップする。ゆえにヒプマイ世界では、彼らは「リアル」にラップ・バトルを繰り広げている。
もちろん、これを詭弁やレトリックとする向きもあろう。しかし、ヒプマイのライブにおけるオーディエンスの圧倒的な矯声の発生を考えると、人気声優への熱気という部分に加えて、ファンのヒプマイ世界への没入度の高さも大きく作用していると思えるし、先程のKENの言葉も納得させられる。