中年女性と青年が通わせる、孤独と愛。再生しゆくふたりの物語に見た“人生の光”(石野理子『エンパイア・オブ・ライト』レビュー)

文=石野理子 編集=菅原史稀


2023年よりソロ活動を開始し、同年8月にバンド・Aooo(アウー)を結成した石野理子。連載「石野理子のシネマ基地」では、かねてより大の映画好きを明かしている彼女が、新旧問わずあらゆる作品について綴る。

第7回のテーマとなった『エンパイア・オブ・ライト』(2022年)は、世代や人種の異なるふたりの関係性を社会背景とともに繊細な手つきで描く作品。画家ウィリアム・ターナーも愛したイギリスの静かな海町マーゲイト、そして物語の核となる映画館という作中に広がる風景にも強く惹かれるという石野が捉えた、本作の指し示す“光”とは。

『エンパイア・オブ・ライト』あらすじ
つらい過去を経験し、心に闇を抱えるヒラリー(演:オリヴィア・コールマン)は、地元の映画館・エンパイア劇場で働いている。彼女の前に夢をあきらめ映画館で働くことを決意した青年スティーヴン(演:マイケル・ウォード)が現れ、その出会いに、ヒラリーは生きる希望を見出していく。だが、時代の荒波はふたりに想像もつかない試練を与えるのだった――。

※本稿には、作品の内容および結末・物語の核心が含まれています。未鑑賞の方はご注意ください

物語と重なる、作中の景色

これまで「聖地巡り」や「ロケ地巡り」には縁がないと思っていました。しかし、映画を観ていると「こんな場所に行ってみたいな」「こんな場所で暮らしてみたいな」と感じることは少なくありません。個人的に心を惹かれる作品は、ロケ地の美しさだけでなく、物語の内容や構図が一体となって、忘れがたい魅力を放っています。

そんな中、まさに「ここに行きたい!」と心を強く揺さぶられ、魅了された作品があります。それが、サム・メンデス監督の『エンパイア・オブ・ライト』です。

物語の舞台は1980年代の冬、イギリス南海岸沿いのマーゲイト。この作品は、孤独、そして映画と映画館への愛を、繊細に描き出しています。

映画の冒頭、ややくたびれた「エンパイア劇場」が寂しげに映し出されます。そこに立つ統括マネージャーのヒラリーは、どこか虚ろで、生気がありません。

そんな日々のなか、黒人の青年スティーヴンが新しい仲間として現れます。彼に劇場を案内するヒラリーが、立ち入り禁止のシアターや、オーシャンビューが見事なフロアへと誘うシーンは、廃れた空間に差し込む外からの光で、映画全体の映像美を強く印象づけています。

そして、個人的に『エンパイア・オブ・ライト』というこの映画を思い出すときに、最初に思い浮かぶのはこの景色でした。

スティーヴンの親しみやすさで、ふたりはあっという間に打ち解けます。彼はとても気さくで、ヒラリーだけでなく同僚とも最新の音楽で盛り上がります。1980年代という時代背景、特に国民の分断が深まるなかで、「ザ・スペシャルズ」のような社会意識の強いロックを聴くスティーヴンは、自分のアイデンティティを音楽に重ね合わせていました。

その年の大晦日、劇場の屋上で花火を見ながら新年を祝うヒラリーとスティーヴンの姿は、この映画のまたひとつ象徴的なシーンです。スティーヴンに見惚れ、感動のあまり思わずキスをしてしまうヒラリーからは、愛らしさと同時に、秘めていた感情があふれ出てしまったように見えました。

スティーヴンがヒラリーの思いを受け止めたことで、ふたりの距離は確実に縮まり、互いを埋め合わせるように親しくなっていく様子はとても微笑ましく、ヒラリーの表情もぱっと明るくなり、心に余裕が生まれていきます。人生に光を見出したようなヒラリーの変化は、スティーヴンの存在がいかに彼女にとって大きいかを物語っていました。

人種や年齢の隔たりを感じさせないふたりの愛は、とても素直で温かい反面、刹那的で危うさも漂い、その儚さに私は惹きつけられました。

「暗闇の中の光に、現実を忘れる」

しかし、現実は厳しく、ヒラリーは路上で暴徒であるスキンヘッズに暴言を吐かれるスティーヴンを目撃します。その後、スティーヴンの差別による苦しみと葛藤に勇気づけられ、彼女も少しずつ変わっていき、自らの意思を尊重し主張し始めます。

ふたりが初めて遠出をし、砂の海が広がるビーチを訪れる場面では、束の間の幸せが感じられるものの、スティーヴンの以前の彼女の話でヒラリーが癇癪(かんしゃく)を起こすことで、彼女の心の奥深くに根差す不安や傷が垣間見られ、ふたりの関係に亀裂が入り始めます。

職場にふたりの関係が知られ始めたころ、「知られたら事情が変わる」というスティーヴンの言葉を「恥」と誤解し、ヒラリーは再びふさぎ込んでしまいます。この場面では、もう少し会話をしていれば生まれなかったであろう誤解があり、歯がゆさを感じました。

そして、しばらく引きこもっていたヒラリーが、新作プレミア上映の日に突然、派手なドレスで現れます。許可なく詩を読み上げたことで激怒する支配人に対し、「男のスピーチは退屈なだけ」「なんでも思いどおりにはならないのよ」と告げるヒラリーの勇気と反骨精神に、私は清々しさを覚えました。

その後、心配でヒラリーの家を訪ねたスティーヴンに、彼女は幼いころの父親の不貞や母親からの「恥さらし」、そして支配人への怒りを撒き散らします。そんな彼女の姿は、痛々しくも人間らしく、覚醒していて、彼女の心がいかに深く傷ついていたかを知るのにじゅうぶんでした。

仕事に復帰したヒラリーに、スティーヴンは「暗闇の中の光に、現実を忘れる」と上映作品の鑑賞を勧めます。この言葉は、まさにこの映画のテーマを象徴しているようでした。

ヒラリーの復帰を歓迎するムードの中、劇場外で移民に対する暴動が起き、スティーヴンがデモ隊に集中攻撃を受けます。見舞いに行ったヒラリーに、スティーヴンが「母にも起きたことが僕にも起きた。将来、僕の子供にも起きる」と言います。その言葉から差別の根深さと未来への不安が伝わってきます。

しかし、帰り際、黒人の看護師(スティーヴンの母親)から「あの子はあなたに会いたがっていた。あなたが好きなのよ」と告げられ、ハッとしたヒラリーは彼女自身の人生と向き合い始めます。

中年女性であるヒラリーは心に悩みを抱えていましたが、彼女は人生を、そして孤独さえも楽しむ方法を知っていたのでしょう。

きっとスティーヴンは、そんな彼女の強さと脆さに惹かれたのだと思います。スティーヴンとの出会いによって映画を知り、人生に光を見出し、また新たに再生していくヒラリーの姿に、私は励まされました。

また、この映画は、年を重ねてから観返したいと思う作品です。『エンパイア・オブ・ライト』のロケ地に行って、あの景観を体感したいという憧れが、この先の人生のささやかな楽しみになるような気がして、私に新たな選択肢を与えてくれた大切な作品です。

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石野理子

(いしの・りこ)2000年10月29日生まれ。広島県出身。2014年、アイドルグループ・アイドルネッサンスのメンバーとして活動スタート。2018年、同グループ解散後、バンド・赤い公園のボーカリストに就任。2021年に解散。2023年よりソロ活動を開始し、8月に、バンド・Aooo(アウー)を結成。また..