マームとジプシー『cocoon』を再訪する【第1回前編】現実以上に「ほんとうのこと」に耳を傾ける
『cocoon』という作品がある。マンガ家の今日マチ子さんが、ひめゆり学徒隊に着想を得て描いたものだ。この作品は2013年に舞台化され、作・演出は「マームとジプシー」を主宰する藤田貴大さんが務め、主人公の「サン」を演じたのは女優の青柳いづみさんだった。同作は2015年に「再演」されているが、戦後75年を迎える今年の夏――それは東京オリンピックが行われるはずだった夏でもある――に、みたび舞台化されることになった。公演に向けたクリエイションが始まったのは、今年、2020年の3月のことだった。
ほんとうのことだと思って聞くしかない
「うりずん」という言葉がある。
短い冬が終わり、大地と大気に潤いが増してゆく季節を指す沖縄の言葉だ。藤田くんと青柳さんが沖縄を訪れたのは、まさに「うりずん」の季節だった。
首里城への坂道をのぼる。「めんそーれー」と声をかけられ、守礼門をくぐる。首里城は復旧工事が進められており、巨大なクレーンが稼働し、焼けてしまった瓦が積み上げられている。ここで火災が発生したのは2019年10月31日のことだ。わたしたちはここが燃えた日のことをよく知っている。全国放送のニュース番組でも、早朝からずっと、真っ赤に燃え上がる首里城の姿を映し出していた。
「人の話を聞くときって、ほんとうのことだと思って聞くしかないじゃないですか」。坂道の途中で、藤田くんが唐突に切り出す。2020年3月11日に『cocoon』の上演に向けた出演者オーディションが始まり、藤田くんは毎日のように何十人と出会って話を聞くことを繰り返していた。オーディションに書類審査はなく、応募してくれた人とは全員顔を合わせる。1次オーディションでは、「今日の朝、起きて最初に誰と話を交わしましたか?」という質問が投げかけられ、参加者はそれぞれの朝を語っていた。
「その話を、ぼくはほんとうのことだと思って聞くしかないんです。だって、そのオーディションは、その話が嘘かほんとうかを見極める場所じゃないから。でも、そんなことを抜きにしたって、ほんとうのことだと思って聞くしかない職業だと思ってるんです。たとえば性的虐待を受けた子どもに対して、『抵抗できたわけだから、性的虐待を受けたっていうのは嘘だよね』と言ってしまう世の中って、どうかしてると思うんですよね。どうしてそれをほんとうのことだという前提で聞いてあげられる人がいないんだろう?」
藤田くんの話を聞きながら、ぼくは読みかけの『証言 沖縄スパイ戦史』(2020年)という本のことを思い出していた。ジャーナリストで映画監督の三上智恵さんが、大矢英代さんと共同監督を務めた映画『沖縄スパイ戦史』(2018年)に続き、追跡取材を重ねて1冊にまとめた本である。752ページ、厚さにして3.5センチという、新書とは思えぬボリュームだ。この本は那覇のジュンク堂書店では入ってすぐの棚で大々的に並べられており、ベストセラーの1位となっていた。おそらく沖縄以外の地域ではベストセラーとして名前が挙がることも、こんなに大きく展開されることも稀だろう。沖縄と、それ以外との間に横たわっている壁を思う。沖縄に限らず、世の中には境界線と壁があふれている。そんなことが頭をよぎり、ぼくは『証言 沖縄スパイ戦史』を購入し、読み進めていたところだった。
映画『沖縄スパイ戦史』で主人公のように登場するのが、「リョーコー二等兵」こと瑞慶山良光(ずけやま・りょうこう)さんだ。昭和4年に大宜味村で生まれた良光さんは、16歳で第二護郷隊に入隊する。インタビューの冒頭、良光さんは「私は何べんも死んだり生きたり、死んだり生きたりして、今生きてるわけですけどね。不思議な、奇跡があったんですよ。聞いても認めない人が多いですけどね」と語る。「夢で見たこと言ってるんじゃないかお前は」と言われるのだ、と。自身の体験を「ほんとうのこと」だと受け取ってもらえないがゆえに口をつぐんできた証言者は、良光さんだけではなかった。でも、そこで語られているのは、みんなみんな、ほんとうのことだ。
そこに立っていた誰かの胸の内は見落とされる
「ここから海は見えるかな?」
復旧工事の進む首里城の脇を抜け、物見台に辿り着いたところで、青柳さんがつぶやいた。海は見えなかったけれど、首里城は小高い丘に建っていて、那覇の街並みが見渡せる。そういえばここは文字どおりの「城」だったのだと思い出す。外から敵が攻めてこないようにと、辺りを一望できる場所に城を建てたのだろう。
かつてこの場所からは、燃え上がる那覇の姿が見えたはずだ。
那覇が初めて本格的な空襲に遭ったのは、1944年10月10日のこと。街の9割が被災したが、首里城は被害を免れた。
Yahoo! JAPANの特設サイト「未来に残す 戦争の記憶」に、15歳で“十・十空襲”を経験した石川榮喜(いしかわ・えいき)さんの体験談が掲載されている。榮喜さんは少年戦車兵に志願しており、その日は受験日だったため、寮のある首里から那覇に出かけていた。そこで空襲に遭い、県庁の地下壕に逃げ込んだ。12時から13時まではランチタイムのため、米軍機は1機も飛ばず、その間に榮喜さんは首里まで逃げ帰った。そして燃え上がる那覇の街並みを眺めたという。
「ただもう眺めているだけでしたね。もうと燃えるのを。そういう、思いを頭の中に描くことはなかったですね。燃えるのを見るだけで――どんどん火の海になって燃え尽きるのを、全市民が眺めるような状況でしたね。頭がですね、そういう、思いが巡るようなことじゃなかったですね。もう目前が、6万都市がもうもうと燃えて消えていくことだけを、集中的に眺めるというだけでしたね」
空襲があったことは年表に残る。でも、そこに立っていた誰かの胸の内は、時間が経てば見落とされてしまう。
首里城は琉球が統一される前には、群雄割拠のグスク時代があった。各地の有力者たちはグスク(城)を築き、勢力争いが行われた。のちに琉球王家の居城となる首里城も、最初は数あるグスクのひとつだった。何百年前にそこで命を落とした誰かのことは、歴史に記述されることなく、忘れ去られてゆく。
太平洋戦争のとき、首里城の下に地下壕が掘られ、陸軍の第32軍総司令部が置かれた。“十・十空襲”による被害を免れた 首里城だったが、地上戦が始まると激戦地となり、ことごとく焼き尽くされた。その風景を目の当たりにした人は、もうすぐいなくなってしまう。戦争から時間が経過するにつれて、戦争の記憶は薄らいでゆく。今から何百年と経てば、「ここで地上戦があったのだ」ということも、わたしたちが戦国時代の話を聞くのと同じような感覚になるのだろう。
それは戦争に限ったことではない。火災で燃え上がる首里城の姿を目にしたことだって、いつかは遠い昔話のように、夢の話と同じように受け取られてしまうときがやってくるのだろう。でも、どんなに遠い昔話のように、夢の話のように思えることだって、確かにそんな瞬間が存在していたのだ。
現実以上に「ほんとうのこと」
夢という言葉から、思い出す風景がある。
目をあけると、、、きょうもまた、、、朝が訪れてしまった、、、
今日マチ子+藤田貴大『cocoon on stage』(2013年、青土社)
べつに、、、願っていたわけではないのに、、、
やっぱり朝は、、、やってきてしまった、、、
夢をみていた、、、夢の、、、あれはたぶん、、、いまじゃない、、、
時代が、、、きっといつだか、、、むかしの、、、
わたしが知らない、、、どこか、、、とおくの、、、
これは2013年にマームとジプシーの『cocoon』が初めて舞台化されたとき、青柳いづみさん演じるサンが冒頭に語ったモノローグだ。
「なんだろう、夢って見るじゃないですか」。首里城公園を歩きながら、藤田くんが語り出す。「小さいころから、夢でしか訪れない場所が何カ所かあって、その夢を月に何回かは見るんです。『cocoon』を初演したとき、離人症のことを――「ほんとうはわたしはここにはいない」って考えてしまう次元のことを――考えていたんですけど、それが夢であっても、そこがほんとうの部屋だっていう状態になってしまうと、抜け出せなくなると思うんですよね。そんな状態になるってどういうことなんだろうって、ずっと考えてるんです」
夢とはいったい、何を指すのだろう。
夢の対義語は「現実」である。では、夢と現実の境界線はどこにあるのだろう。
『証言 沖縄スパイ戦史』に登場する瑞慶山良光さんは、戦場の記憶から抜け出すことができず、村中を荒らし回って歩くようになったという。今で言えばPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。良光さんは集落の人たちから「いつも兵隊の真似して部落を荒らして歩く」と軽蔑され、独房に軟禁されていたという。自身の戦争体験を郷里の人からも信用してもらえず、「兵隊幽霊」と蔑まれた良光さんは「夢」を見ていたのだろうか?
あれは2年前、2018年の秋のこと。『書を捨てよ町へ出よう』(作:寺山修司)という作品を上演するべくパリを訪れたとき、街では大規模なストライキが発生していた。公演翌日に街を歩くと、大通りではショーウィンドウが割られ、燃やされた車がひっくり返っていた。そんな風景を目にした藤田くんは、「こうやって何かを目の当たりにしても、『マジか』ぐらいしか思わないんですよね」と呟いた。「現実の風景を見ても、それが自分の中で永遠に焼きついたものにはならないんですよね。そこで『現実のほうが現実感がない』と思っている自分の感触を、自分がほんとうだと思っている『嘘』の世界に、変にこじつけたくないんです」
藤田くんは演劇をつくる。劇場という空間で、「嘘」を、「夢」を描く。それはきっと、現実以上に、藤田くんにとって「ほんとうのこと」であるはずだ。
『cocoon』(2010年)は、ひめゆり学徒隊に着想を得て、今日マチ子さんが描いた漫画である。それを藤田くんは2013年に舞台化し、2015年に再演した。2015年は戦後70年を迎える節目の年でもあり、全国6都市で巡演された。そのとき藤田くんは、劇場まで足を運んでくれるお客さんがいることで、世界が変わるのではないかと期待していた。でも、世界は変わるどころか、ますますひどくなるばかりだ。「現実」を支えるはずの言葉が、何かをごまかすための嘘で塗り固められてゆく。そんな状況を前に、自分が扱う「嘘」とはいったいなんだろうと藤田くんは自問自答したはずだ。
園内を歩いているうちに、「西のアザナ」という展望台に出た。そこから西海岸を見渡すことができた。
「飛行機飛んでるよ」と青柳さん。
「どこ?」
「ずっと遠くに――違う違う、そんなに上じゃないよ」
いつまで経っても、藤田くんは飛行機を見つけられなかった。ふいに工事の音が響く。「今の音、一瞬マシンガンの音に聴こえたわ」と藤田くんが言う。「でも、昔はこんな工事の音だって耳にしたことがなかったわけだから、戦争が始まってから聴こえてきた音は、めちゃくちゃ怖く感じただろうね」
展望台には、目の前に広がる風景の案内図が設置されていた。一番遠くに見えているのは残波岬だと書かれていた。残波岬がある読谷村の海岸から米軍が上陸してきたのは1945年4月1日のことだ。その日から、この島で地上戦が始まったのだった。
*マームとジプシー『cocoon』を再訪する【第1回後編】「音のない世界で」は、2020年4月24日配信予定
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マームとジプシー『cocoon』
原作:今日マチ子『cocoon』(秋田書店)/作・演出:藤田貴大(マームとジプシー)/音楽:原田郁子東京|7月4日(土)〜7月12日(日)東京芸術劇場プレイハウス
埼玉|7月18日(土)〜7月27日(月)彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
上田|8月1日(土)〜8月2日(日)サントミューゼ 上田市交流文化芸術センター 小ホール
北九州|8月9日(日)北九州芸術劇場 中劇場
伊丹|8月14日(金)〜8月16日(日)AI・HALL 伊丹市立演劇ホール
京都|8月22日(土)〜8月23日(日)京都芸術劇場 春秋座(特設客席)
沖縄|8月29日(土)〜8月30日(日)ぶんかテンブス館テンブスホール