モーレツ地方公務員の昭和百年夢物語──帰宅は深夜1時、月200時間残業で離婚&子供たちとも疎遠に…幻に終わった95年の世界都市博「東京もやれば絶対に成功したんだ」【佐伯ポインティのご長寿猥談 #7】
長い人生を積み重ねてきた人々が語る生涯最高の恋愛や性体験とは、どんなものなのか?
猥談を生業とする佐伯ポインティが、65歳以上の男女に濃〜い猥談を直撃取材! 戦前生まれの高潔なおばあさんからバブルの絶頂を味わったイカれたおじいさんまで、愉快なご長寿たちが登場します。
※本連載は一部に性的に過激な描写が含まれています。苦手な方は閲覧をご遠慮ください
※扱う時代背景を勘案し当時の表現を使用しているため、一部現代では不適切な行為の描写や不適切な表現も出てきます。本連載はそれらの行為を肯定するものではありません
目次
ポインティ、平和島のドン・キホーテで奇跡を起こす

今回、ご長寿猥談でやってきたのは蒲田!
……と言いたいところでしたが、蒲田のご老人に片っ端から話しかけまくった結果、全員にNGを出されてしまいました……。
こんなこと……まあ、あるよね……。むしろこれまでが、ノープランでご老人がいそうな駅に行って取材させてもらえるラッキーが続いただけで、収穫ゼロがむしろ普通……こういう日もあるか……。
そうして3時間が経過し、途方に暮れながら担当編集・山本氏と蒲田駅へ。
敗色濃厚のまま(どっか移動する……?帰る……?)という空気で、京急本線の路線図を見ていると「平和島」の文字が。あれ、そういえば、平和島ってボートレースがあったような!
ご老人たちが大量にいる予感だけを頼りに、平和島へ移動するポインティと山本氏。
目論見どおり、平和島にはものすごい数のご老人がいました。
……しかし、誰ひとりとして、取材に応じてはくれない。
それはそうだ、彼らはボートレースをしに来ているのであって、過去の恋愛やセックスを話したいわけじゃない。ボートレースの結果に熱狂しているときに、取材なんてジャマなだけだ。しっしっ、と追いやられるポインティと山本氏。
ご長寿猥談史上初の、ガチのピンチが訪れました──。
いたずらに時間だけが過ぎ、本日2度目の(ここまでか……帰る……?)という空気。
ヤケになって、「ドンキでも入りますか、ボートレースで勝ったおじいちゃんがいるかもしれないし!」と山本氏に言うと「まあ……そうですね、行ってみましょう」という気乗りしない返事が返ってきました。それはそう。ドンキに取材OKの老人がいるわけ……おや?
なにやら、ぶらぶらドンキを歩いているご老人の姿が。
ボートレースガチ勢とは違い、なんだか気持ちに余裕がありそうなテンションだ。話しかけるやいなや、「おう、いいよ、コーヒーおごってやるよ!」と奇跡的な返事が!
しかし、今思えばこれが、奇妙な取材の始まりでした。
〜ご長寿猥談プロフィール No.7〜
シゲオさん(80歳)
・神奈川県横浜市出身、1945年生まれ
・離婚経験あり(子供3人)
・夜間大学を出て東京都庁で定年まで勤務
・現在はオーケストラのボランティアに勤しむ
・口癖は「映画みたいな話なんだけど」

火事で実家が焼失、恋人のアパートで同棲生活
シゲオ で、何を聞きたいの? ポイントを教えてよ。
ポインティ(以下、ポ) どんな人生を歩んできたのか、その節目にあった恋愛やセックスの話を……。
シゲオ そんなの、俺が人生の話をしゃべったら3時間くらいかかるよ!
ポ いやあ、それはすごい。聞きます、聞きます!
シゲオ 生まれはね、青森。育ったのは湘南だな。鵠沼海岸ってとこで、若いころはよくサーフィンやってたな。そのあと小学生のときに横浜に引っ越して、20歳で東京で就職するまではそこにいたよ。
ポ 初めて彼女ができたのっていつですか?
シゲオ 中学2年生のときだね。でもそのときは子供だったから、セックスはできなかったな。これは身の上話になるんだけど、誰にも話してない話、聞くか?
ポ は、はい。
シゲオ 俺は中学時代に結核になって、茅ヶ崎の結核療養所にいたわけ。そこにジョー山中っていう奴が俺と同じ結核棟に来たんだよ。『人間の証明』って映画知ってる? あの映画の主題歌を歌ったヤツ。『人間の証明』って、本もバカ売れしたし、映画も大ヒット。まさに社会現象ってところだな。
ポ (なんの話……?)それで、シゲオさんの初体験はいつだったんですか?
シゲオ 20歳までは童貞っていうのかな。ずっとなかったね。
ポ そうなんですね。その20歳のときの相手はどんな人だったんですか?
シゲオ これも映画みたいな話なんだけど、聞くか? 当時よく遊んでた女の子がいて、そいつが俺に惚れちゃって、横浜の家のすぐ近くのアパートに引っ越してきちゃったんだよ。キャバレーで働いて生計立てるって。
ポ へ〜!? シゲオさん、わりとモテてたんですか?
シゲオ まあ、普通だよ。それで彼女の部屋で、地元の仲間とかも呼んで麻雀したり、遊び行ったりしてたわけ。溜まり場みたいになってたから。それである日さ、みんなで海に遊びに行って帰ってきたら……俺の家が燃えてるんだよ。映画みたいな話だろ?
ポ え!?
シゲオ 俺の7つ下に弟がいてね、子供同士で火遊びしてたら燃えちゃったらしいんだよ。すぐ逃げたから無事だったんだけど。それで家も何もかも燃えてなくなっちゃったから、仕方なく彼女のアパートに転がり込んだってわけ。当時は仕事もしてたから、職場にも彼女のアパートから通ってね。
ポ 大変ですね……その彼女とは結局どれくらい付き合ったんですか?
シゲオ 俺は30歳のときに別の人と結婚したんだけど、それまで7年くらい付き合ったかな。
ポ ちなみに、なんでその人とは結婚しなかったんですか?
シゲオ これもまた映画みたいな話だけどさ、俺は子供ができるのが嫌だったから、結婚したくなかったんだ。
ポ そうなんですね……?(映画みたいな話……口癖?)
夜間大学を出て公務員になるも、腎臓疾患で人工透析
ポ ちなみにシゲオさんのお仕事は……?
シゲオ 大学を出てから、都庁で定年まで働いたよ。
ポ 都庁勤め! エリートだったんですね。
シゲオ 全然そうじゃないんだよ、俺はどこにでもあるような地方の私立大学出身だな。都庁の連中は東大だの早慶だの、中央だの明治だので、すごい奴らばっかりだった。
ポ じゃあその中で、けっこうハングリー精神があったんですね。
シゲオ いや、なんとも思ってなかったな。田舎もんが、東京の中心のすごいところにいても、何もわかりっこないよ。まして都政やら国のことなんて、何もわからないじゃん。ただそういうエリートの人たちからいろいろ教わって、一生懸命やってただけ。
ポ まっすぐですね。
シゲオ 働いてるときは「辞める、辞める」って口癖のようにずっと言ってたけど、定年まで勤めちゃったな。
都庁が丸の内から新宿に移転したの知ってるか? あれにも俺が関わってるんだよ。当時の鈴木(俊一)知事がずっと新宿に移転したがってたけど、都議会の2/3の賛成が必要だろ? なかなか大変だよ。俺は鈴木知事に直接、進言したんだよ。「知事、やっぱり都庁は丸の内ですよ」って。怒られちゃったな。
あの人は立川の出身だからさ、ちょっとでも地元に近づけたかったんだ。だから丸の内と立川の間を取って、新宿に都庁を建てたんだよ。
ポ (絶妙に本当か嘘かわからないな……)都庁で働いてるころに結婚もしたんですか?
シゲオ そう、これもドラマみたいな話なんだけど、腎臓をやっちゃって、4回くらい人工透析をしたんだ。もう絶対に助からないって言われてたんだけど、奇跡的に治って退院することになった。そのとき医者に「今、付き合ってる女が3人いる」って打ち明けて。そしたら「あなたは結婚して栄養管理をしないとまた再発するから、その中で一番、家庭的な女と結婚しなさい」って言われて、奥さんと結婚したわけ。当時は顔もまあまあよかったから、向こうも喜んでたな。
ポ (これは本当に昭和のドラマみたいな話だな……)それまで奥さんとはどれくらいの期間、付き合ってたんですか?
シゲオ 5年くらいかな。プレイボーイっていうのかな、俺は浮気っぽいんだけど、意外と付き合うと長いんだよ。一回付き合うと情に脆いって言うのかな、セックスだけしてサヨナラみたいな関係は嫌なんだよ。
ポ だから3人と付き合ってたってことなんですか?
シゲオ まあそうだな。結婚してからはさ、俺が腎臓をやってるから、奥さんも一生懸命、塩分の少ない料理を作ってくれて。そのおかげで体もどんどんよくなった。
ポ 結婚してからの夜の思い出とか、覚えてますか?
シゲオ 結婚してからは申し訳ないくらいセックスはなかったな。毎日、仕事が終わって家に帰るのが夜中の1時だったからね。
ポ めちゃくちゃ昭和の働き方ですね……。
シゲオ それで結局、定年を迎える前に逃げられちゃったな。
ポ ああ……。
1995年、夢に終わった「世界都市博覧会」
ポ 仕事はかなり忙しかったんですか?
シゲオ ちょうどそのころはお台場で開催する予定だった「世界都市博覧会」に関わってたからね。大手のディベロッパーも巻き込んだ、鈴木知事肝煎りの一大プロジェクトだったんだ。俺は裏方で、世界中のマスコミに向けた開催発表記者会見も担当してた。どれだけ立派な国際展になるのか……っていうのを発信する会見だね。でも、中止になった。
ポ 知らなかったです! なんで中止になったんですか?
シゲオ 1995年に青島(幸男)が都知事になって、中止しやがったんだよ。本当に頭にくるよ! 都市博の中止を公約に掲げて選挙に出て、最後は「家族に相談して中止を決めた」って言うんだ。あれは許せなかったね。こないだの大阪万博だって、結局大成功してるじゃないか。都市博だって、東京でやれば絶対に成功したんだよ。都市博のためにどれだけの雇用も、お金も動いたことか。
ポ 関わっていた側からすると、中止するのはあり得ないって感じだったんですね。
シゲオ あのあと『愛・地球博』も成功したでしょ? あれはウチのノウハウを全部持って行ったから成功したんだよ。前例があるから、あとはちょこちょこっと直すだけ。こんなに楽なことはないよ。
ポ ほう……そうなんですね……?
※1996年(平成8年)に東京・お台場で開催される予定だった「世界都市博覧会『東京フロンティア』」は、東京都が主導し最先端の都市像を世界に発信することを目的とした一大プロジェクトだった。しかしバブル崩壊後の経済情勢の悪化、巨額の税金投入への批判、そして1995年(平成7年)に誕生した青島幸男都知事の中止表明により、開催まで1年を切ったところで正式に中止された。
【引用元 https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1999217】
深夜まで記者クラブに缶詰、飲み会の毎日
ポ そういう仕事の忙しさもあって、離婚しちゃったんですか?
シゲオ 正確にいうと、まだ離婚はしてないんだよ、本当は。これも映画みたいな話だけど。
ポ まだしてない? 別居ってことですか?(また映画みたいな話来た)
シゲオ 向こうが子供連れて家を出て行って、しばらくして裁判所に呼び出されたんだよ。そしたら、離婚が成立したって言われたの。もちろん俺はハンコも押してなかったし、そんなことは認めてない。俺が嫌だって言ってたけど、裁判所に異議申し立てをしないまま7年経ったら、「調停離婚」ってことになった。
ポ ああ、時効みたいな感じなんですね(じゃあ離婚成立してるんじゃ……?)。向こうはなんで離婚したかったんですかね?
シゲオ 一切言わなかったから、自分ではわからないよね。考えられるのは、仕事ばっかしで、夜は飲み会で、毎日深夜まで帰らなかったからね。
ポ それはたしかに、なんで家庭を作ったんだってなっちゃいますよね……。
シゲオ なんで帰るのが深夜までかかるかわかる? 俺が働いてたのはプレスセンター、いわゆる記者クラブみたいなところ。そこにいる新聞記者たちは会見をもとに原稿を書いて、その原稿がどうやって新聞に載るのかを確認して、入稿を見届けてから帰るんだよ。その入稿の締切が深夜の1時半だった。だから原稿を書いてから、新聞の入稿を見届けるまでは飲んで待ってるんだ。
ポ へえ〜。
シゲオ 記者から信用されてたからね。「シゲオの情報なら間違いない」って信頼されたら、新聞も雑誌もいろんな記者が寄ってくる。それで毎日、カウンターの居酒屋で記者と飲んでたわけ。もちろん公務員は接待を受けちゃいけないから、そのへんは気をつけていたけどな。
ポ そのへんは絶妙な距離感なんですね。ちなみに忙しくしている間は女性と遊んだりしなかったんですか?
シゲオ 職場のアルバイトの女の子と付き合ったりしてたよ。かわいくてね、結婚したかったね。女房には隠してたけど。
ポ え、じゃあ不倫というか……それに気づかれたんじゃないですか?
シゲオ 不倫だよね。彼女も女房も両方好きだったから。女房とも別れたくないし、彼女とも別れたくない。素直でしょ?
ポ まあ、たしかに……。その子とは最後はどういう別れ方だったんですか?
シゲオ 彼女は等々力のいいところに住んでるお嬢様だったんだけど、あるとき偶然、ウチの弟にばったり会っちゃったらしいんだよ。弟にも会わせてたからね。
ポ すごいな。昭和すぎる。全部が。
シゲオ そしたら、その子が「私、結婚しちゃった。お兄さんには内緒にしてね」って言われたって。女ってのはすごいよな。男はいつまでも追いかけるけど、女はスパっとキレイにいなくなっちゃう。
ポ どっちもいなくなってる……。
月200時間の残業……子供と連絡が途絶えて10年
ポ 奥さんと別居したのは何歳のときだったんですか?
シゲオ 子供が大学生のときだから、58のときかな。うちの息子は慶應ボーイなんだよ。大学院まで行かせたからな。娘は音大に行かせて。すごいでしょ?
ポ そりゃすごい学費ですね! 公務員の稼ぎがむっちゃいい時代だったってことですか?
シゲオ いやあ、よくないよ。ほとんど残業手当だね。月200時間は残業してるんだもん。毎日10時間くらい残業してたよね。睡眠時間も2時間くらいだったから。
ポ うわあ……残業代で慶應と音大に……。お子さんと触れ合う時間とか、家族団らんの時間とか、なかったんですか?
シゲオ なかったね。盆と暮れだけ。冬はスキー、夏は海に連れて行った。それだけは欠かさなかったね。
ポ 今でもお子さんたちとは会うんですか?
シゲオ もう10年は会ってないねえ。
ポ 会いたいと思います?
シゲオ 息子たちももう結婚して、孫もいるっていう噂なんだよ。でも相手にも迷惑だろうしねえ。
ポ シゲオさんは全然家にいなかったけど、めっちゃ残業して、大学にも入れたわけじゃないですか。今お子さんたちと会えないことに寂しい気持ちもあります?
シゲオ まあ、子供たちも学生のときは親のことなんかわかりっこないだろうけど、今は結婚して、親だった俺の気持ちがわかると思うんだよ。今になればね。
ポ なるほど……寂しいけど通じ合ってるって感じですかね……。
70歳を超えて気づいた「ギャンブルよりも旅行のほうが楽しい」
ポ それで、今はどういう感じの生活なんですか?
シゲオ まずクラシックコンサートのステージマネージャーのボランティアだろ? あとは湘南で、海洋汚染対策のボランティア。まあ、言ってしまえばゴミ拾いだな。最近まではウインドサーフィンもやってたんだけど、腰を痛めてやめちゃった。あとは麻雀も競馬も20歳のころからずっとやってたけど、ギャンブルはやめちゃったね。ボートレースだけはやってるけど。
ポ 活動的ですね! なんでギャンブルをやめたんですか?
シゲオ 年金生活でお金の問題もあるけど、やっぱり70も超えると旅行に行ったり、おいしいものを食べてたほうが幸せだね。
ポ 30歳超えてそれ言う人もいますよ! たどり着くのにだいぶかかりましたね!? というか、ギャンブル大好きな人も、そういう落ち着きの時期が来たりするんですね。
シゲオ 自然とそうなるんだよ。ゴルフも行ったりね。横浜の関内で年に1回「シゲオ会」っていう飲み会も開いてるから。昔は30人くらい集まってたけど、今は15人くらい、元気な奴しか集まらないね。
ポ シゲオさん的に、80歳超えて元気な人と元気じゃない人の違いってどんなところですか?
シゲオ そりゃ簡単だよ。仲間がいない奴、めんどくさがりの奴はどんどん引きこもっていくし、仲間がいて前向きな奴はいつまでも元気だな。
ポ たしかにシゲオさんは、仲間の話がけっこう出てきますね。
シゲオ そう。ゴルフコンペを開いたり、ボランティアの仲間とも飲み会を開いたりね。
ポ 最後に、恋愛の話に戻るんですけど、シゲオさんの人生にとって、セックスとか恋愛ってどういうものでしたか?
シゲオ 喜びでもあり、仕事の活力にもつながるものかな。元気が出るんだよ、よしがんばるぞって、前向きになる。そのためにはもっと稼ごう、仕事やろうとかね。そういうもんだな。でも、今はもうデートのほうが好きだね。
ポ どんなデートが好きなんですか?
シゲオ TBSのドラマの、『相棒』で水谷豊が飲んでるような店に行くのが好きなんだよ。着物のママがいて、そこで日本酒飲みながら語るっていう。ああいう店に行くのが好きなんだよね。ひとりでも行くくらい好きだから。
ポ たしかにシゲオさん、ソロで行動するのが好きなんですね。
シゲオ 本当は違うよ。でも80歳を超えると、みんなまわりは病気になっちゃったり、死んじゃったりするからね。忘年会も毎年20回はやってたけど、ここ最近は5回くらいしかやってないな。官僚の奴らとか、昔から付き合いのある連中とね。
ポ 仕事に生きた人生というか、仕事しすぎた人生ですね
シゲオ そう言っても過言じゃないと思うよ。
取材を終えて
取材中、シゲオさんが明らかに話を盛ってるな……というパートがあり、この原稿からは大部分カットしたのですが、取材後に『水曜日のダウンタウン』(TBS)の企画「歯無し運動会」への出演経験があることがわかり、なんだか奇妙な納得感がありました。
仕事をがんばるために恋愛して、仕事に打ち込みすぎて家族を失った、「映画みたいな話」と「嘘みたいな話」が詰め込まれたシゲオさんの人生。
たまに、なんでも大げさに盛って話すおじいさんっているよな……と思っていたのですが、もしかしたら彼らは、モーレツに働いていたころの「昭和の男」を生き続けて、語り続けることによって、現実と虚構を混ぜこぜにしているのかもしれません…。
それでも、取材相手探しに苦労していた僕たちに、シゲオさんがコーヒーを奢ってくれたり、取材に応じてくれたのはまごうことなき事実です。そういう人柄のよさが、ボランティア仲間やゴルフ仲間ともつながり続けている理由なのだろうとも思います。
過去の日本の歴史とともに、老いのさまざまな側面が見えてきますね……。
それでは、次回のご長寿猥談でお会いしましょう〜!





