グローバルボーイズグループ・INIのメンバー・許豊凡が、いつかは忘れてしまうかもしれない「ある一日」の心の動きを大切に書き留めるエッセイ連載。
連載第1回では、日本へ留学を決めて故郷の中国・浙江(せっこう)省を発った日のこと、『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』に挑戦を決意したときの覚悟を綴る。
※本稿は『Quick Japan』 vol.181に掲載した連載エッセイの転載です。
20160906:人生は冒険だ

2016年9月6日。早朝の上海浦東(シャンハイプードン)国際空港。僕は初めてひとりで海外へ。それまでの海外渡航歴は中学を卒業するとき、家族と韓国・ソウルへ旅行に行っただけだった。だがそのときと違うのは今回の僕はひとりで、航空券も片道券しか所持していなかったことだ。僕はこれから、少なくとも4年間は異国で生活することが決まっていた。下見もせず、今まで行ったことのない国で4年間を過ごす。こういうふうに文字にしてみたら破天荒に聞こえるが、自分の人生がこれからそれ以上に想像のつかない展開になってしまうとは、そのときの僕は知らなかった。
人と会うたびによく聞かれる。「なぜ日本に来たの?」。正直、僕自身もよくわからない。ただ留学はずっと憧れで、昔からしたいと思っていた。日本のモノは好きだった。小さいころに日本のアニメが中国で大流行していた時期、自分もそのアニメファンのひとりだった。日本のニュースも追っていた。だがそれ以上に、何かの「勘」が働いていただろう。だから進路を決めるときも「日本に行きたい」という直感が心のどこかにあった。
直感で選択をしたものの、そのときの僕は日本語がまったくわからなかった。大学は英語で受験でき、入学してからも英語での授業が可能だったが、日本に来てから半年から1年の間は、言語の壁もあって生活に苦労していた。1年目は横浜の日吉にある大学の学生寮に住んでいたが、ひとり部屋でまわりとの交流が少なかった。同じ寮に交換留学生の人が多かったので、友達ができたとしても半年くらいでまたそれぞれ日本から離れてしまったりした。
学校から寮まで歩いて15分の一本道。ふたつの点の間の往復を繰り返す毎日だった。これが4年間続くのかと、なんだか将来に対する明るい気持ちが少し曇り始めた。
秋の入学から半年を経て、漠然と不安を抱えたまま次の年の春を迎えた。大学は新入生を迎え、さまざまなサークルの新歓活動が盛り上がっていた。高校の受験期も大学に入ってからもずっと元気をもらっていたアイドルのことを一緒に語れる人がいるかもしれないという理由で、K-POPのカバーダンスのサークルの体験会に行ってみた。ダンス経験はもちろんなし。最初、運動神経の悪い自分からすると、動きを覚えるのは至難の業だった。だが、それでもその体験会が信じられないくらい楽しかった。その場で入部を決めた自分は、まさかこの出来事が今後の自分の人生を大きく変えるイベントになるとは知らなかった。
サークルでは初めてずっと一緒に行動するような友達ができた。部員の中には留学生も多かったので、彼らのサポートのおかげで少しずつ日本語の会話にも慣れ始めた。初めての合宿、初めての発表会、その年の文化祭のステージにも立った。気づいたらこのサークル活動が自分の大学生活のもうひとつの軸になっていた。ステージに立つことの喜びを知り、もっと大きなステージに立ちたい、もっといろんな人の前でパフォーマンスをしたいと、いつの間にかその喜びが「憧れ」になっていた。

今こそ呼ぶ人は少ないが、大学ではAnthony(アンソニー)という名前で呼ばれていた。中華圏の人はみんな自分で英語の名前をつける。多くの人は小学校の英語の授業で、先生に何個か英語の名前を提案されてその中から選ぶ。Tom, Mary, Amy, Jackあたりが非常に人気だが、中にはAppleなど、子供のころはかわいいかもしれないけど成人になったらそれだと困るだろという個性的な名前もある。もちろん提案を無視して自分の好きな名前を好きなようにつけるのも可能。それで僕の英語名がAnthonyになったわけだ。大学でも利便性のためこの英語名を使い続けて、まわりにもそう呼ばれていた。その延長線で、“そにー”などのニックネームもできていた。
僕は今でもこの名前を気に入ってる。普通だったら名前を自分で決めることはないが、せめて英語名だけでもその特権を味わうことができる。そしてなによりも、自分の今まで歩んできた道を思い出す名前だ。
大学4年生となり、まわりが内定をもらったりし始めていたなか、なんとなく就活も大学院の受験も進めていたが、正直どれもピンとこなかった。コロナ禍で人とコミュニケーションを取ることが極端に減り、本当にこれでいいのか、これが自分のしたいことなのかとずっと自分に問いかけていた。どうしても忘れられない。ステージに立ったときの暖かさ。やるなら今。というか、今の年齡でやらないともうチャンスが残されていない。そうだ。人生は一回きりだから、やっぱり自分の本当にやりたいことを追求するべきじゃないか。大学院も就活も、もしダメだったときにまたやり直す余地は、大変だろうが、ないことはないだろうし。そうだ。そうだ。人生は冒険だ。
ひとりで訪れたことのない国で4年間の生活を始めようとしていたときのように、僕は再び踏み出した。いろんなところで壁にぶつかりながら約1年が経とうとしていたとき、『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』の募集が始まった。2020年12月7日、書類提出の最終日。日付が変わるギリギリまで、自己PRの文章とダンスと歌の材料をいかにキレイに見せるか直しを重ねて、締め切りの10分前に送信ボタンを押した。
自分の本名をカタカナに変換して呼ぶことはそれまでにほとんどなかったので、最初はなかなか慣れなかったが、オーディションには本名で参加するしかなく、僕もその日から“アンソニー”としてではなく“フェンファン”として生きていくことに。
それまでにもらっていた力を、これからは誰かにあげる側に。
僕の人生の新たな冒険が、その瞬間から始まった。
*
改めて、許豊凡(しゅう・ふぇんふぁん)です。中国出身、グローバルボーイズグループ・INIのメンバーです。なんと、このたび連載を持たせていただくことになりました。ありがたい限りです。連載ではみなさんがすでに知っている僕のことや知らなかった僕のこと、最近僕が考えていること、最近食べたおいしいご飯、今生きている世界に対する小さなモヤモヤなどなど、あらゆる内容でお届けしていけたらと思います。でもさすがに初回なので、僕のことをまず知ってもらいたいと思い、なんとなく自分は何者なのかを書かせていただきました。
僕は日付を記録するとき、8桁の数字だけを書くことが多い。ファンとコミュニケーションを取るツールのひとつ、プライベートメールのほうでもいつも当日の日付の数字をタイトルにしている。気づいたら、今までの人生において大事なイベントがすべて8桁の数字として記憶の隅に保存されていた。これらの数字をこの連載のひとつの軸にしていけたらおもしろいかもしれないと、思ったり思っていなかったり。
改めて、このような素敵な場所を用意していただきましたクイック・ジャパンさんに心より感謝を申し上げます。精いっぱいがんばっていきたいと思います。しばらくの間は、ぜひ付き合ってくださいね。

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