お笑い芸人として、若手ながらに目覚ましい活躍を見せるヨネダ2000の誠。彼女には自分自身の「すべて」と言い切れる存在がいた。2025年2月に活動を休止したフジファブリックだ。活動休止に寄せて、特別な存在である彼らとの出会いと別れ、共に歩んだ人生を振り返る。
『Quick Japan』のコンセプト「DIVE to PASSION」から生まれた連載「DtP」。タレントや表現者たちが、自分だけが知る“アツいもの”を自らの言葉で綴るコラム連載です。
未知との遭遇
中学1年生のときに初めて「夜明けのBEAT」を聴いて「なんだこれ!! もう一回、もう一回」とiPodの再生ボタンを何度も何度も押しました。
私にとってフジファブリックは聴いたことがない音楽でした。ほかの曲も聴いてみましたが、すべての曲が「もう一回」状態になってしまい、なかなか進みませんでした。
ある日、どんな人たちがこの曲を作っているんだろうと思い、画像検索したことがありました。
ほとんどが長髪でした。そのころの私はまわりに長髪の男性がおらず、フジファブリックの画像を見て謎にドキドキしたのを覚えています。
「すべて」すぎた存在
そして、志村(正彦)さんがもう亡くなっていることも知りました。そのころは「そうなんだ」程度にしか思っていませんでした。でも志村さんが生前に作った曲をすべて聴き終えるころには、私にとって特別な存在になっていました。
お小遣いで過去のCDやDVD BOXや雑誌などを買い、家族が寝たあとにリビングで観たり、聴いたり、読んだりしました。私にとって、志村さんはすべてでした。「すべてすぎる」と思い、あえて聴かない時期があったほどです。
それとは別に「若者のすべて」と「茜色の夕日」は聴けない時期がありました。
「茜色の夕日」は今もまだ心の準備が必要です。本当に本当に悪い意味に捉えないでいただきたいのですが、聴いていられないのです。
声に出してしまった「間に合わなかった」
それからライブに何度も行きました。2025年2月で活動を休止することを知ったとき、私の中で「嫌だ」と「感謝」と「間に合わなかった」が込み上げてきました。
特別な存在が休止してしまうことが「嫌だ」という気持ち。もっと早く休止していたら私はライブに行けていないし新曲を聴けなかったので、今まで続けてくださった「感謝」の気持ち。
その発表は家でひとりでいるときに見たので「間に合わなかった」は声に出してしまいました。私の夢のひとつに〝フジファブリックに会う〟ことがかなり大きくあったからです。
いつか会えると思っていました。でもインタビューなどで会いたい人を聞かれたときに「フジファブリック」と言ったことはなかったと思います(すみません、あったらすみません、たぶんないと思いますが、あったら本当にすみません)。これも、100%の自力で会いたかったからです。会いたいと言って会えた。じゃ嫌だったんです(会いたいと言ってももちろん会えていないと思いますが)。なので活動休止を知ったとき「間に合わなかった」とすごく感じました。
感謝をかみしめた活動休止ライブ
活動休止ライブには本当に運がよく当選して、行くことができました。日頃の行いです。ライブが始まってからはあっという間でした。この気持ちを文字にするのは難しいですが、すごくハッピーでした。ずっと幸せでした。好きでよかったと思いました。ファンすぎる呼び方になってしまいますが、総くん、ダイちゃん、カトさん、本当にありがとうございました、と思いました。そんなライブでした。
彼らの音楽でしか感じられない感情にしてくれる。それが、私が思うフジファブリックの魅力です。


誠(ヨネダ2000)
1999年生まれ、東京都出身。
2020年から相方の愛とヨネダ2000として活動。
ヨネダ2000も出演『DAIENKAI 2025』


日程:2025年7月19日(土) 開場 10:00 開演 11:00 終演 21:00(予定)
:2025年7月20日(日) 開場 10:00 開演 11:00 終演 21:00(予定)
会場:東京ガーデンシアター(〒135-0063 東京都江東区有明2丁目1-6)
主催:吉本興業株式会社
企画・制作:よしもとブロードエンタテインメント/吉本興業株式会社