終わりの見えない不妊治療。想像を超えたつらさの中で私を支えてくれた言葉

本日は晴天なり

ピン芸人・本日は晴天なりによる連載「バツイチアラフォーの幸せだけじゃない日常」

妊活を経て始めた不妊治療で初期流産を経験した筆者。ネガティブな気持ちに押しつぶされそうになっても、希望を信じて不妊治療を続けることを選んだ。しかし、待っていたのはさらに過酷な現実。終わりの見えない日々を振り返る。

【前回記事はこちら】子宮外妊娠、初期流産…どんどんネガティブになっていく不妊治療の中で希望を捨てなかった私の経験

3度目の不妊治療開始

不妊治療を始め、一度目の体外受精で妊娠するも、9週目に流産していたことがわかった。

流産手術後は体を通常の状態に戻すために2、3カ月は不妊治療を休まなくてはならない。その間に私は40歳を迎えた。何も進展させることのできないもどかしい3カ月。そこで、妊娠したら絶対にできないことをしておこうと思い、韓国にいる旦那のご両親へあいさつに行った。

2回目の移植は前回凍結した受精卵を使ったが、結果は化学流産。遅れてきた陰性みたいなものなので、化学流産は実際、流産としてカウントしないし、一度目と違って流産手術もなかった。家に帰り、5分ほど号泣したが、打ちひしがれている暇はない。むしろ、前回のように何カ月か「妊娠」の状態が続いてから振り出しに戻るよりよっぽどいいとすら思った。

凍結していた貯卵を使い果たしたので、3回目のチャレンジはまた卵子を採取するところからスタート。採取時も前回よりは心に余裕があり、痛みにビビりながらもいろんなことを記憶していた。

「ポワンポワンポワンポワンポワン」みたいな音が聞こえて、看護師さんか培養士さんのどちらかが「リフトアウトです!」みたいなことを言う。絶対に「リフトアウト」とは言ってないけど、そんな感じの聞いたことがあるカタカナ6文字くらいを言っていた。「ポワンポワンポワン」という音は、宇宙船に吸い込まれていくような。卵子たちが吸い取られて、外へ連れ出されていく音なのか?と想像させた。「リフトアウト(仮)です!」は、卵子が卵巣から無事に離陸できた合図なのか?と予想していた。

こんなことを考えるほど、余裕が生まれていたのだ。

採卵の結果は卵子6個! 6個以上になると値段が上がるのを思い出した。しかし、ここまできたら金額のことは気にならない。ただでさえ保険治療なんだ!高いもんは高いけど、やれることは全部やるんだ!という気持ち。

さらに、万全を期して顕微受精へランクアップ! 顕微受精では、精鋭中の精鋭ひとつを選んで、卵子へ注入。1対1で受精させる。さらに今回は実費(約2万円)になるが、保険適用にならない先進医療も用いて精鋭たちをチョイス! 行け行けーーーッ!!! GOGOGOGOGOッ!!!

そして培養する際に「タイムラプス」というものもつけた。ざっっっくり説明すると、受精卵を育てる過程でいちいち扉を開け閉めして卵たちの様子を見なきゃいけないけど、タイムラプスは動画で撮影しながら見守るため、よりストレスをかけずに培養するらしい。いわば、スイートルーム。こちらも先進医療なので、自費で約3万円。正直、高い。オプションをつけずとも、ちゃんと受精する可能性はある。でも、後悔したくない。移植までの1週間、6人(卵?)で泊まって3万円は安いと思うことにした。

移植後の人生で一番長く感じる時間

前回同様、培養室に電話をかけ、受精したかを確認する。今回は受験の合格発表みたいでドキドキした。いや、私、まともに受験なんてしたことなかった。『M-1グランプリ』や『R-1グランプリ』の合格発表みたいでドキドキした。

結果は6個すべて受精。第一関門突破。ここから5日間かけて胚盤胞(移植の段階)まで育て、移植する。スイートルームを使用したので、全滅はないと信じたい。

1回目はどんな過程があるのかわからないまま突き進んでいたので、「次はこれなんだ、へ~!」と思いながらどんどん駒を進めていったが、今回は「次はこれだ……その次はあれをクリアしなくちゃか……遠い道のりだ……」と、関門がどれくらいあるか知っているので、ヒヤヒヤ度は前回とは比べものにならない。

移植の朝、祈るように電話をすると受精卵は6個中4個、胚盤胞まで育っていた。「移植は痛くない」と言う人が多いけど、消毒したり、器具を入れたり、それなりに「ヴッ」とはなる。

このあとの1週間がクッソ長い。人生があっという間すぎて、普段から瞬きしたら90歳くらいになってそうで怖いと怯えている私だが、こんなに早く過ぎてほしい1週間はほかになかった。

結果は陽性。採血の結果、妊娠継続率は50%ちょい。しかし、1回目は継続率80%で流産しているので、ここからが勝負だということは痛いほどわかっている。だから、まったく喜べはしなかった。50%……。どうせダメだと思うようにしていたけど、やっぱりどこかで期待している。

移植から5日後、数値は上がっていたが、ヤッター!という気持ちよりは、セーフ!のほうが強い。この先、何個も関門があるので、今回はなんとか通過できた……という感じだ。

8日後、「赤ちゃんが入ってる袋が小さい」と言われ、一気に不安になった。

ここから心拍を確認するまでの8日間、私にとって、人生で一番長い8日間だった。大丈夫だと信じたい自分と、もうダメかもと思う自分。心臓バクバクで内診台へ。

結果、この日はまだ心拍が確認できず1週間後に持ち越し。さまざまな数値の伸びも悪く、絶望が私を襲う。暇さえあればXや知恵袋、ブログ等で流産のことを調べる検索魔になっていた。

泣いても祈っても結果は変わらない気がしていたので、性悪な私は祈りが届かないことを証明するために、徹底的に祈ろうと思った。

ひたすら祈る日々

その日、子宝や安産で有名な神社を調べ、旦那と足を運んでみた。お守りを買うと神主さんに「気持ちを強く持ってね。産まれるといいなぁじゃなくて産むぞっ!って思うようにね」と言われた。私にはその言葉が刺さりすぎて、自分が本当は祈りが届かないと証明したいんじゃなくて、祈りにすがってでも成長してほしいと願っていたことに気づいた。

そして1週間が経った。この日、心拍が確認できなければもう終わり。内診室に呼ばれる直前は、心臓が口からボロンッと出るんじゃないかというくらいドキドキしていた。

お守りを握り、内診台へ。毎回、エコーをするまではわからないシュレディンガーの胎児状態でハラハラだ。大きな黒い丸が見つかり、その中に白い楕円がある。よく見るとなんか動いてる気がする。

結果、サイズも大きく成長し、心拍も確認することができた。「ちょっとスローペースな印象もあるけど、心拍が確認されることが大事」と、先生も前向きな意見。不妊クリニックの卒業が見えてきた。ぜんぜん安心できないけどめちゃくちゃうれしい!!!

しかし、1回目もここまでは来ている。2回目の心拍確認まであと3日。前回同様、心拍確認後の流産が怖くて仕方ない。SNSで「17週で死産しました」なんてワードを見てしまい、怯えまくっていた。産まれてまもなく……ってこともあるし、産まれてから、病気や事故ってこともあるし、そんなことばっかり考えてたら子育て楽しめるのかな? 妊娠期間は楽しみより不安が多すぎる。

2回目の心拍確認2日前。なんでこうなった?と問う未来に進みたくない、母子手帳取りに行く未来へ行きたい。内診台の上で、深刻なことを言われる想像をしては、ゾッとしていた。

1日前。ドン底に突き落とされたくありません。真っ暗になるのはもう嫌です!どうかお願いします!と、ひたすら祈った。

当日。心拍がかなり弱まっていて、このまま流産するとのこと。また目の前が真っ暗なまま、流産の説明をされた。まだ心拍があるのに、お腹の中で生きてるのに、死ぬのを待つなんてつらい。

不安ばかりが募るけど…

「どうせ、どうせ」と思い続けながらも、どこかで信じていた。言いたくなかったけど、やっぱり「ほらね」になった。お笑い芸人の仕事を休んでいた数カ月間、ここまでにかかった費用、毎日の投薬、また全部ムダになった。途中でいなくなるなら最初から来ないでよと思うくせに、結局、来てくれたことにありがとうと思うから、心はぐちゃぐちゃだった。

疲れた。

保険治療が適用されるのは、残り3回。

約9週で流産する場合はほとんどが染色体異常らしいが、染色体異常があるかないかは、受精卵を移植する前に調べる検査が必要だ。しかし、その検査は1卵につき10万くらいする上に、もし、染色体異常以外の理由で流産していたら回避できないし、調べることによって受精卵が壊れることもあるらしい。

でも、今、冷凍されている3つの受精卵が全部染色体異常だったら、あと3回流産するかもしれない。たまたま2回連続染色体異常だっただけかもしれないが、私と旦那に遺伝子異常があったり、私の体に不育症の傾向があるなら、ただただ移植するだけで時間とお金をムダにするのが怖い。

あと3回、病院で凍結された卵が終わるまで流れに身を任せ、時間とお金を費やすか……。でも、普通に妊娠継続できるかもしれない……。正解がわからず悩んだが、2回以上流産を繰り返したら不育症の検査も保険適応になると聞き、不育症の検査を受けた。

そして、私の体は血が固まりやすい体質で、血液がうまく届かず、流産しやすいことがわかった。

不育症の薬を飲みながら不妊治療を続けた私は次の移植で、人生で4度目の妊娠をした。今度こそはと祈る気持ちと、また次もきっと……と怯える日々が始まったのだ。

覚悟して臨んだつもりの不妊治療は、想像を遥かに超えるつらさだった。しかし、経験したことによって、誰でもできると思っていた妊娠や出産がどれほど尊く、どれほどの奇跡なのかを知ることができた。もし、まだ見ぬ我が子に会うことができたら伝えたい。どれだけつらい思いをしても、あなたに会いたかったからがんばれたのだと。

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本日は晴天なり

太田プロダクション所属のピン芸人。キャバクラバイト歴10年、身長173センチの長身女子。推し事が中心の日常も、YouTube『本日は晴天ちゃんねる』にて垂れ流し中。

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