孤独を誰にも相談できず、平気なふりをした
タイさんとの共同生活はきつかったが、職場の人はみんないい人たちだった。どうして高校に行かず働いているのかも詮索することなく、純粋に仲よくしてくれていた。
ある日、職場の先輩から、「岩井くん、今夜みんなで『バットマン』観るんだけど来ない?」と誘われたことがあった。観たい。ものすごく観たい。寮に来てからそうした娯楽に飢えていたし、タイさんとの部屋に戻らなくていいのも助かる。
でも、なんで誘われたのだろうか。寂しそうに見えたんだろうか。「岩井くん、いつもひとりでかわいそうだから誘ってあげましょうよ」みたいなパートのおばちゃんたちの会話があったのだろうか。だとしたら、素直に行くのはなんかかっこ悪いんじゃないか。それにもしバットマンを観たとして、一緒に笑ったり感想を言ったりするイメージが思い浮かばない。どんな顔でその場にいればいいのか。そもそも俺は、「ひとりで生きるため」にここに来たんだし。そんな「フツーの人々」の助けなんて、いらないはずだ。一度自意識過剰になるとその考えがぐるぐると頭を離れない。
結局、その会には行くことができなかった。当時の僕は、「孤独なんて微塵も感じない自分」じゃないといけないと、思い込んでいたのだと思う。だから一緒に映画を観たいとも言い出せなかったし、タイさんのことを誰かに相談することもできなかった。自分の理想像がすごく高いのに、現実はそのイメージにまったく届かない。そんな自分を受け止められなくて、いつも引き裂かれていた。
今考えると、タイさんとの相部屋や仕事もきつかったけど、そのつらさを人に言えないことが一番きつかったのだと思う。母にもそのことを話し、「じゃあ、寮の人に相談したら?」と助言をもらったが、そんな「いびきがうるさい。唾を吐く」なんてことに気を病んで、誰かに相談するなんてできなかった。
精神的なストレスに加え、寝ててもうるさいタイさんのせいで眠れず肉体的な疲れもピークに達していたころ、職場の厨房も忙しい日があった。
その日は普段のメンバーとは別に、タイさんの知り合いでもある中国人スタッフが追加で何人か来ていた。忙しいのでお互いへの頼み事や意見も段々と荒くなっていく。「この皿、洗い直して!」「さっきから待ってるんだけど!」。そんななか、「卵の殻をどこに捨てるか」で、ヘルプの中国人とケンカになった。
「入ってきたばっかのやつに注意されたよ!」ヘルプの中国人はそんなことを言って、なぜかニヤニヤしている。皿洗いに戻ってからもタイさんとそのヘルプの中国人たちは僕を見ながら中国語でずっと笑い合っていて、何を言っているかわからないが、馬鹿にされているのだと思った。
「日本語で話せよ!!」
ひときわ大きい笑い声が聞こえたあと、気づくとそう怒鳴っていた。
「中国語で話すな!」と叫ぶと、「中国」の部分だけは聞き取れたのか、何人かが一斉に「チュウゴクナニ!?チュウゴクナンダ!?」と怒鳴ってきた。手元にあったたわしを力任せに投げる。野菜くずを投げ返されて、卵の殻とか生ゴミとか、手当たり次第に投げ返す。また何か投げてくるからこっちももっとたくさん投げる。
そこから先、どうなったかはよく覚えていない。
ただ、もう駄目だと感じたのだと思う。仕事中だったが厨房を飛び出して、気づくとそのまま東京の家に帰っていた。荷物は全部寮に置いたままだ。山の上にある研修施設だったけど、駅まではどうやって行ったのか。交通費はどうしたのか、交番で電車賃を借りたのか、それとも母親か誰かに迎えに来てもらったのか。まったく思い出せない。
ただいずれにせよ、わずか一カ月で独り立ちが失敗に終わったことは確かだった。
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