“戦後80年”答えのないものを考え続けるための『cocoon』【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

“戦後80年”答えのないものを考え続けるための『cocoon』【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

文=折田侑駿 編集=森田真規


太平洋戦争の終戦から、80年を迎える2025年8月。NHK総合では今日マチ子の代表作ともいえるマンガを原作にしたアニメーション『cocoon~ある夏の少女たちより~』が8月25日(月)に放送される。

マームとジプシーによる舞台化でも知られるマンガ『cocoon』は、太平洋戦争末期の沖縄戦において前線に立たされた「ひめゆり学徒隊」に想を得て、“戦争と少女”が描かれた作品だ。

1990年生まれの文筆家・折田侑駿による連載「割れた窓のむこうに」では、特定の作品を通して見えてくる“社会”的な物事について見つめていく。第2回では、「(戦争は)私にとって答えのないもの」という今日マチ子への取材をもとに、今の時代にこそ考えたい“戦後80年”の意味を掘り下げていく。

※本稿は、マンガ『cocoon』や特集アニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』のストーリー詳細に触れています。未見の方はご注意ください。

今日マチ子

今日マチ子
(きょう・まちこ)漫画家。東京都出身。主な著書に『cocoon』(秋田書店)、『いちご戦争』(河出書房新社)、『かみまち』(集英社)、『すずめの学校』(竹書房)など。2025年8月7日、最新作『おりずる』(秋田書店)が上下巻として発売される

戦争体験者が減りゆく2025年夏と『cocoon』

祖父がおもむろに幼少期の思い出について話し始めた。それは今から80年以上も前の話。戦時中の鹿児島でのことだ。

疎開先で米軍の戦闘機と遭遇した祖父は、とっさに側溝に飛び込んで身を隠した。そして、その際にパイロットと目が合ったのだという。この体験がいつまでもずっと忘れられないらしい。語り口調こそ穏やかだが、衝撃的な体験だったのだろう。当時の光景や感覚がよみがえるのか、それとも年齢のためか、微かに声が震えているのがわかる。80代後半の祖父からあと何度、この話を聞くことができるだろうか。

時代は昭和から平成へ、そして令和へ。時が経つにつれ、戦争体験者は減っていく。実体験として戦争を知らない私たちの世代から、戦争というものがさらに遠くなっていく。しかし、今も世界のどこかでは戦争が起こっていて、私たちの生活はそれと背中合わせにある。

実感として得るのは難しいかもしれない。けれども「戦争」をモチーフにしたさまざまな名作を通して、想像してみることはできる。そこに描かれている人々は、今の私たちとどう違うのか。何を訴えているのか。思いを馳せてみる──。

終戦から80回目を迎える今年の夏、漫画家・今日マチ子の代表作である『cocoon』がアニメーション作品『cocoon~ある夏の少女たちより~』として放送される。太平洋戦争末期の沖縄戦において前線に立たされた「ひめゆり学徒隊」に想を得て、少女たちの揺れ動く心模様を描出した原作のアニメ化だ。2013年には「マームとジプシー」によって演劇作品として上演され、私はこのときに『cocoon』と出会い、少女たちと出会った。

特集アニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』
特集アニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』

戦後70年の年となった2015年には再演が、そしてコロナ禍による上演延期を経て、2022年には再々演が実現。そのたびに私は穢(けが)れを知らない少女らと出会い直し、主人公のサンやマユといった小さき存在が「戦争」という大きな事象に翻弄される過程に立ち会い、その一部始終をつぶさに見つめてきた。それは「悲劇」というひと言に収まるものでは到底なく、客席にいる我々にも沖縄戦を追体験させるような壮絶なものだった。

マンガから演劇へとメディアを横断して大切に守られてきた少女たちの物語は、このアニメ化によってこれまで以上に遠くまで広がり、私たちに考えるきっかけをもたらしてくれるに違いない。「戦争」はけっして過去のものではないのだと。

『cocoon』の生みの親である今日マチ子は、「マンガが刊行されたのは2010年のことなので、当時はまだ生まれていなかった方々がもう中学生になっています。このアニメを通してサンたちの物語に出会い、『cocoon』を再発見してもらえたら」と語る。

誰もが関心はあるものの、恐ろしいものを避けたがる傾向を懸念し、原作とはまた違うアニメならではの表現にこだわった。愛らしく軽快なタッチのアニメ作品だからこそ、多くの人がフラットにこの物語と出会うことができるのではないだろうか。

『cocoon』今日マチ子/秋田書店/(C)今日マチ子(秋田書店)2010
『cocoon』今日マチ子/秋田書店/(C)今日マチ子(秋田書店)2010

個人の想いに耳を傾け、手をつなぐ

戦後生まれ世代にとって、「戦争」というものとの距離感はさまざまだ。私は鹿児島出身なので知覧の特攻基地の存在をすぐそばに感じながら育ち、一時期を広島で過ごしたこと、それから東京大空襲のあったエリアに今住んでいることなどから、「戦争」は常に身近なものであり続けている。

『cocoon』だけでなく、アンネ・フランクによる『アンネの日記』を下敷きとした『アノネ、』や、長崎原爆から着想した『ぱらいそ』を描いてきた今日マチ子にとってはどうなのだろうか。

『アノネ、』上巻/今日マチ子/秋田書店/2012年
『アノネ、』上巻/今日マチ子/秋田書店/2012年
『ぱらいそ』今日マチ子/秋田書店/2015年
『ぱらいそ』今日マチ子/秋田書店/2015年

「沖縄戦について描いてほしいと打診があったんです。デビューしてまだ間もないころだったこともあって、ちょっと面食らってしまいましたね。当時の私としては戦争をモチーフにした作品を描くことになるなんて思ってもみませんでしたから。

でものちに『cocoon』の担当編集者となる金城小百合さんの熱意に揺さぶられました。沖縄出身者である彼女が東京生まれの私に、どうにかして沖縄戦に関するマンガを描かせようとしている。彼女の強い想いはどこから生まれるのか。向き合ってみようと思ったんです」

柔らかな口調でそう語るが、マンガで「戦争」を描くというのは高いハードルがあったはず。それも日本で唯一の地上戦が行われた沖縄戦となると、相当な覚悟を要したはずだ。

「ひめゆり学徒隊のことはもちろん知っていましたが、私にあったのは世間一般程度の知識です。少女たちが戦地に動員され、あまりにも無惨な経験をし、そしてその多くが命を落としてしまったのだという。取材に行く前に改めて調べたりもしましたが、まずは担当編集である金城さんの想いにひたすら耳を傾けるところからスタートしました。沖縄にルーツを持つ彼女が、沖縄と縁のなかった人々に何を求め、何を伝えようとしているのか。彼女としてはまず知ってほしいのだという想いを強く持っていました」

かつて戦争を体験した人や、今世界のどこかで戦災に見舞われている人々がどんな想いを抱えているのか。これを真に理解することは難しい。沖縄にルーツを持つ人たちの複雑な心情だってそうだ。けれども寄り添うことならできるだろう。

ここでカギとなるのが、“当事者性”を持つことができるのかどうかだと私は思う。SNSなどによって、遠くの出来事を身近なものとして感じられる時代だ。個人の想いに耳を傾け、手をつなぐこともできる。今の時代はデジタルネイティブ世代の若者こそが、「戦争」を身近なものとして捉え、それぞれのやり方で危機感を表明していたりもする。

「きっと私が子どものころよりも、今の若い方々のほうが戦争を身近に感じているでしょうね。ここでどう上の世代の人間が若い世代を導けるのかがポイントだと思っています。私が描く作品たちもその一助になれたらいいなと。大人が口を閉ざしてしまっては何も生まれないので、知っていることはどんどん発信していくべき。

ただ私としては、そこで何か答えを出すことを強要したいとまでは思いません。知識を得たらまずは自分自身で考えて、それから答えを探しに歩き出してほしい。実際に『cocoon』でも“答え”を明示してはいません。メッセージは読者のみなさん一人ひとりに導き出していただきたいんです」

慰霊と自衛

それまで自身の遠くにあったモチーフに、今日マチ子はどのようにして寄り添っていったのだろうか。『cocoon』を描くための取材は、とても苦しいものだったという。

「取材ではずっと戦跡を巡るので、とても落ち込んでしまって……。金城さんのご親戚の方の家に泊めていただいたのですが、そこで背中に塩をまかれたほどでした。何かに憑かれたのかと思ってしまうくらい、あまりにも暗い表情をしていたそうです。

作品で描く以上、何も見逃してはならないという強いプレッシャーを感じていたことも影響していたと思います。私が立っているところでいったい何人の方が命を落としたのか。そのことばかり考えていました」

何かに憑かれたかのように落ち込んでしまうというのは、私にもいくらか覚えがある。「戦争」の悲惨さを後世に伝える資料館などに足を運んだときもそうだが、その最たるものは2025年3月に経験した。

先述しているように現在の私が住んでいるのは、東京大空襲で焼け野原になった一角だ。当時の古地図を見れば一面が真っ赤になっている。今の自分の生活の真下には、多くの人々の想いが眠っているのだ。このエリアで生活を営むようになってから、そう考えるようになった。

今年は3月に入ってすぐのころから頭痛がひどく、後頭部からの突き刺すような痛みは日に日に増していき、そうして東京大空襲から80回目の3月10日を迎えた。病院に行くことも考えたが、ひとまずは例年どおり、言問橋のたもとに立つ慰霊碑の前で行われる追悼集会へ。

それから、焼夷(しょうい)弾の焼け跡が残る戦跡を巡り、両国にある東京都慰霊堂へと向かった。このときが痛みのピーク。しかしやがて夜になるころに慰霊堂を出ると、次第に痛みが引いていったのである。このことを今日マチ子に伝えると、次のように返ってきた。

「その痛みというのはもしかすると、ご自身が生み出しているところがあるかもしれません。亡くなってしまった人たちに対する慰霊の気持ちがあるからこそ、想像力をたくさん働かせてしまって。今、生きている自分たちからすると、悲惨な思いをされた方々に対してどこか負い目もあるし、何かしてあげたい気持ちはあるものの、実際に何をどうすればいいのかわからない。でも慰霊って、その場所へと足を運んだり、その人たちのことを考えたりすることなのではないでしょうか。私自身、最近そうすごく思うんですよ」

さらに、今日マチ子はこうも続けた。

「慰霊は基本的に亡くなられた方々に心を寄せる行為ですが、それだけではないとも思います。生き残ったことに罪の意識を感じている方もいますよね。そういった人々に、『大丈夫ですよ』と言ってあげる行為でもあるのではないでしょうか」

死者を思い続けること。悲しい思いをした人々のことを考え続け、関心を絶やさないこと──それが慰霊。たしかにそうかもしれない。そして同時にこの寄り添う行為は、自分なりに当事者性を得ることでもあるように思う。

とはいえ、強い慰霊の気持ちは自分自身の心をすり減らしてしまいかねないし、当事者意識を過剰に持とうとするのも危険だ。他者の想いを継承し、語り継いでいく自分自身を守る必要がある。

「どんな作品でもそうですが、歴史的な事象をモチーフにした作品を描くとなると特に、どうしたって批判的な声も上がったりするものです。でも私自身としては最大限に真摯に向き合っているので、どうしようもありません。なのでマンガ表現で挑みつつも、自分の身体や心を自分自身で守ることをとても大切にしています。自衛ですね。まず自分を守らなければ、創作は続けられない。ときに繭(まゆ)の中にこもることも必要だと感じています」

「戦争」を描いていく上で、答えが出ることはない

『cocoon』は「戦争」という大きな事象をモチーフにしているが、フォーカスしているのはその中の個人(=少女たち)だ。いや、「戦争」の内側に少女たちが存在しているのではなくて、少女たちの外側に「戦争」が存在しているというべきか。

「『cocoon』の舞台になっている沖縄は、その構造的にも非常に複雑です。ある視点によっては、ずっと搾取され続けてきた歴史があります。この作品のときにはそこまで手を伸ばすことができなかったので、また別の作品の中でかたちを変えて触れました。『cocoon』では少女たちの心の動きに焦点を当てています。戦争という大きなものの中で散ってしまった、かわいそうな人たちとしては描きたくなかった。

だって、好きなことや一生懸命になって取り組んでいることなど、個々にいろいろあったはずですよね。ひめゆり平和祈念資料館では亡くなられた方の一人ひとりにどんな人物だったのかコメントが添えられているのですが、“戦争”で語られることのなかった姿こそを描こうと思いました。描かなくちゃと思ったんです」

そうして今日マチ子が描いた少女たちの物語は、アニメ化されたことで広がっていく。『cocoon』の刊行から15年の間に、作者としての変化は何かあるのだろうか。

「15年前は“過去の戦争を描いた”と言われたものですが、次第に“未来の戦争を描いている”という声が聞こえてくるようになり、今では“現状を描いたもの”だと言われることが多くなりました。戦争は身近なものというよりも、私たちの日常に隣り合わせで存在しているのを実感しています。

『cocoon』を手がけて以降、いくつかの戦争をモチーフにした作品を描いてきましたが、描き終えるたびに次作での課題や描きたいことが押し寄せてきます。だから、描き続けるんです。私にとって答えのないものですから」

特集アニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』
特集アニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』

今日マチ子の口にする「答えのないもの」という言葉が反響した。答えがないからこそ、今日マチ子のように描き、私の祖父のように語り、こうして書くしかないのではないか。それを続けるしかないのではないか。そこから自然と、次の世代に渡すべきバトンも生まれるのだと思う。

今日マチ子は「戦争」をモチーフにした作品を描き続けることにおいて、「点数の取れない試験にずっと挑み続けている感じ」と口にし、絶えず緊張し続けていることを明かしてくれた。

私も今これを書いていて、その気持ちがほんの少しだけわかる気がする。声高にメッセージを発さずとも、自分で考えること。考え続けること。それはきっと周囲の者たちに伝播していく。戦後80年の夏も、これから先も。

特集アニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』

特集アニメ『cocoon~ある夏の少女たちより~』

原作:今日マチ子『cocoon』
声の出演:満島ひかり(マユ)、伊藤万理華(サン)
監督:伊奈透光
音楽:牛尾憲輔
アニメーションプロデューサー:舘野仁美

放送:NHK総合にて2025年8月25日(月)夜11:45〜
※放送予定は変更になる場合があります

この記事の画像(全8枚)


関連記事

この記事が掲載されているカテゴリ

Written by

折田侑駿

(おりた・ゆうしゅん)文筆家。1990年生まれ。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、文学、服飾、酒場など。映画の劇場パンフレットなどに多数寄稿。映画トーク番組『活弁シネマ倶楽部』ではMCを務めている。

関連記事

『Love Letter』のむこうにのぞく、1995年という時代の転換点【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

『Love Letter』のむこうにのぞく、1995年という時代の転換点【割れた窓のむこうに(折田侑駿)】

【音楽のなる場所(磯部 涼)】文化はひとを救い、時に殺す──映画『ルックバック』評

【音楽のなる場所(磯部 涼)】文化はひとを救い、時に殺す──映画『ルックバック』評

『隣人もまだ起きている』より(撮影=河村正和)

又吉直樹と秦 基博による言葉と音楽の往復書簡『隣人もまだ起きている』が生まれた春の夜

ツートライブ×アイロンヘッド

ツートライブ×アイロンヘッド「全力でぶつかりたいと思われる先輩に」変わらないファイトスタイルと先輩としての覚悟【よしもと漫才劇場10周年企画】

例えば炎×金魚番長

なにかとオーバーしがちな例えば炎×金魚番長が語る、尊敬とナメてる部分【よしもと漫才劇場10周年企画】

ミキ

ミキが見つけた一生かけて挑める芸「漫才だったら千鳥やかまいたちにも勝てる」【よしもと漫才劇場10周年企画】

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「猛暑日のウルトラライトダウン」【前編】

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記

九条ジョー舞台『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「小さい傘の喩えがなくなるまで」【後編】

「“瞳の中のセンター”でありたい」SKE48西井美桜が明かす“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

「悔しい気持ちはガソリン」「特徴的すぎるからこそ、個性」SKE48熊崎晴香&坂本真凛が語る“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

「優しい姫」と「童顔だけど中身は大人」のふたり。SKE48野村実代&原 優寧の“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

話題沸騰のにじさんじ発バーチャル・バンド「2時だとか」表紙解禁!『Quick Japan』60ページ徹底特集

TBSアナウンサー・田村真子の1stフォトエッセイ発売決定!「20代までの私の人生の記録」