1996年に刊行されたよしもとよしともの短編集『青い車』は、1990年代の青春マンガ、ひいては当時の日本のカルチャーを象徴する作品として、今なお読み継がれている。長らく絶版状態にあったが、表題作「青い車」の発表から30年を迎える今年、新装完全版『完本 青い車』として復刻されることとなった。
この短編集にちりばめられたサンプリングやテクノといった要素は、90年代を語る上で欠かせないキーワードだ。開放感と共存する不穏な感覚もまた、当時の時代精神を色濃く映し出している。だがそれらは「90年代」という枠に押し込めてすませてよいものなのか。むしろ現代と地続きの問いを投げかけているのではないか──。
今回の復刊にあたり、編集担当の太田匡人氏とともに当時を振り返る『Quick Japan』YouTubeチャンネルにアップされた動画を引用しながら、よしもとよしともインタビューを前後編に渡ってお届けする。
後編では、『完本 青い車』の収録作について、よしもとよしともが今考えていることに迫っていく。
また、『完本 青い車』QJストア限定特別版の発売も決定。特別版は、通常版に特別カバー(デザインは非公開)とポストカードが3点セットになっており、2025年9月15日(月)までの注文で著者の直筆サインも入る豪華版となっている。


高木りゅうぞう「ツイステッド」の“カバー”
この短編集の中で「青い車」に続いてよく知られているのが「ツイステッド」だろう。高木りゅうぞうによる同作を「カバー」したものである。高木は1990年代初頭、『ミスターマガジン』や『ヤングマガジン』増刊にいくつかの作品を発表し、1993年にわずか24歳で亡くなった作家だ。今なおその作品は、当時の掲載誌か、没後にごく少数だけ配布された作品集でしか読むことができない。幻のように残された作品をリスペクトを込めて取り上げる姿勢は、1990年代の音楽シーンにも通じるものがある。
*
太田 収録されている「青い車」以外のタイトルについてもうかがっていこうと思います。
よしもと 時系列でいうと、次が「ツイステッド」ですね。これもすごく印象に残っています。

太田 この時期には、意識の変化を作品に落とし込むのにだいぶチューニングができてきた感じですか?
よしもと 「青い車」で人間の原点、時代に左右されない部分を描こうと方向が定まって。ちょうどこのころは「マンガってなんだ?」と改めて考えて、手塚治虫の短編を読み返したりもしていました。
太田 テクノを中心にした音楽雑誌『ele-king』に連載していた「NO MORE WORDS」など、実験的な作品も収録されています。
よしもと そう。でも3回くらいでネタが尽きてしまった(笑)。やはりギミックではだめだと痛感しましたね。「NO MORE WORDS」も回を重ねるうちにベタになっていって、結局「マンガらしさ」をどう考えるかに行き着いたと思います。「ツイステッド」はその成果です。高木りゅうぞう君の作品のカバーという体裁だけど、要するに、マンガのストーリーにおける「乗り移りもの」(登場人物に他人が乗り移る)ですね。
太田 古くは『ど根性ガエル』とか。アレはTシャツに張りついてしまいますが。
よしもと まあ、普遍的に続いているジャンル。『COMIC CUE』がカバーバージョン特集をやることになって、じゃあ「ツイステッド」でと。原作のセリフを少し引用しつつ、話は全然違うものにしました。
太田 1995年はかなり多作でしたね。
よしもと 多作といっても、連載作家に比べれば少ない。それと、この時期はアシスタントが3、4人来てくれたのが大きいです。描ける人が集まってくれて、本当に助けられました。あとこのころの転機として、それまで使っていたGペンとは違うペンも試したのも大きかったですね。
どうしても変えたいと思ってたわけでもなかったんだけど、丸ペンやサインペンとかなんとなくいろいろ試してみて。でも、なかなかしっくりこなくて。あるときスクールペンを試したら「これだ!」と。以降はずっとスクールペンです。Gペンより3倍速く描ける。線のテンポが変わったんです。
新たに加わった「ライディーン」制作秘話
『青い車』の収録作の中で最も古くに発表された「銀のエンゼル」は、青春のヒリヒリとした瞬間を生々しく描き出した作品だ。今でもネットで検索すれば、当時の読者による感想を目にすることができる。そして「ライディーン」は、今回の新装版『完本 青い車』で新たに加えられた一編である。
*
太田 「銀のエンゼル」にも当時の変化が出ていますね。
よしもと あれは1991年の作品だけど、あまり時代に左右されるような内容ではないと思って入れました。ただ、絵柄が古かったから(初版収録時に)人物を描き直したんです。発表当時はなぜか、女性からのウケがすごくよかった。個人的に体験した時間が封印されているような内容だから、こっちとしては恥ずかしいんだけど。ただ、Xとか見ると、「ちょっと苦手だった」って意見もある(笑)。「苦手だったけど、今ならすんなりと読めた」とかね。

太田 オリジナル版に収録されていたのは「銀のエンゼル」まででしたが、今回「ライディーン」を追加した理由は?
よしもと まず、絵が上達しているのがわかるから(笑)。「ライディーン」である程度、絵が完成するんです。本当に、自分でもうまく描けたなって思うようなカットがある。具体的にいうと、チカちゃんがつり革につかまりながら座ろうとするシーンの、体重のかけ方とか。あと、チカちゃんが笑うとほっぺにしわが寄る描写とか。そういう子がいてかわいかったなって記憶があって、そのまま描いてみようと。笑いジワを描くマンガ家さんって少ないよね。
太田 唐突に挿入される見開きのページも印象的です。
よしもと 最初にネームができたときは24ページだったけど、担当に「2ページ増やしてくれ」と言って、見開きをドーンと追加したんですよ。結果的によかったですね。
太田 ちょっと悲しみや喪失感が漂っていますよね。批評するわけではないんですけど、この単行本に収録されている話って、「青い車」も「銀のエンゼル」も、「誰かを傷つけた」みたいなエピソードが出てくるじゃないですか。最近のマンガだと「被害」の話はわりとよく見ますけど、その逆というか、そこが改めて新鮮でした。
よしもと そうですね。「ツイステッド」とか。

太田 あと、タイトルが「ライディーン」なのはなぜですか? YMOの楽曲とは無関係に見えますが。
よしもと そうか、これは説明しないと全然わからないですよね。実は関係あるんです。当初発表したのが『FEEL YOUNG』の増刊なんですが、雑誌のテーマが「日本のポップスのヒット曲を選んで、その曲が出た年の話を描く」だったんですね。それで俺は「1979年」を選んで。「学ランでフィルムコンサートに行って、渋谷陽一がビールひっかけられてた」っていうのは実体験で。
じゃあ、1979年のヒットって何?って考えて、YMOの「ライディーン」でいいかって。YMOの中でも「テクノポリス」じゃないな、「ライディーン」だなって。なんか妙にハマるし。つまり、「ライディーンがヒットした年のお話」ってことです。
時代が経っても変わらないものもここにある
1990年代は青年マンガの黄金期ともいえ、数々の傑作が生まれた。しかし、当時ヒットしたり評判を呼んだ作品でも、品切れや絶版で現在は手に入りにくくなっているものが少なくない。『青い車』もまさにそのひとつだったが、今回の復刊は次の世代へ伝える上でもうれしい出来事だ。今後の活動や、現代社会と作品との関わりについても語ってもらった。
*
太田 今回の復刊は、90年代の作品を埋もれさせない意味もあります。当時名作とされていたものが、ともすれば、時間経過に上書きされてなかったことになってしまうような危機感を個人的には抱いていて。このようにかたちにできたわけですが、最近はどうですか?
よしもと すごくミニマルな傑作を描く、ということをずっとやりたいと思っていて、コロナ禍に8ページの新作「OHANAMI 2020」を発表しました。これは大成功だった。で、その次の年、「165cm」という1ページのマンガを描いた。
じゃあ次はということで、2021年に出た『別冊ele-king 永遠のフィッシュマンズ』に4ページのマンガを描く予定だったんですが、時間がなくて寄稿文とイラストにしたんです。実はネームまでできていた。それが「マチダくん」と「ミサイル」の会話劇で、「ある日の午後のレコ屋」の話。1999年を舞台に、インターネットもだんだん普及していく時期で、「MP3ってあんじゃん?」「クソ音質ですよね」という出だし。
結局、絵を描く時間がなくて、そのうち描こうかとは思っていたんだけど、そのネームがどこかに行ってしまいまして……捨てはしないから、どこかの束の中に紛れ込んでいると思うんだけど、気が向いたら描くかもしれない。本来なら今回の『完本 青い車』に載せるべきものだったのかもしれないけど、それはちょっとやりたくなかったというのもあって。
太田 惜しいですね。ただまあ、舞台も1999年で、「2025年のマチダくんの話」ではないというのもありますしね。
よしもと だから、たぶん描かないですね(笑)。もう「青い車」はこれで完結している感覚がある。俺の中では、そのあとのストーリーがいろいろあるってことで。リチオとその彼女のアケミの背景や、姉妹の話もあって、「青い車」ではそこはまったく描かれてないけど、隠しておいたほうがいいだろうなって思います。
太田 こうやって新装版が出るとなると、新作への期待も高まると思いますが……。
よしもと 「新作は?」と言われるのは、つらいけどありがたいことです。絵を描くってなると、やっぱり短編じゃないともう無理で。長編として、誰かに絵を描いてもらうかたちで、その原作を進めて、かなりのところまでできてたことがあったんです。
そこではウクライナとロシアの出来事をちょっと視点に入れてやっていたんだけど、そのあとイスラエルとガザの出来事が始まったとき、自分が見てきたエンタテインメントってものが崩壊したような感覚があって。
アメリカの対応もそうだし、エンタメ業界の、特に(スティーブン・)スピルバーグとかが象徴的だと思うんだけど。それでもう、エンタテインメントっていうものが信じられなくなったっていうか、その答えを出さなきゃって思いが今はすごくあって。
だから、そこを抜きにしては描けない。基本は『青い車』の時から変わっていなくて、本当にベーシックな人間の話を描きたいけど、視点としてやっぱり、今起こっていることについては絶対意識を外せなくて。じゃあ、それをどうやって描くのか?って考えている段階ですね。
太田 まさに、多くの作家が同じような課題を抱えていると思います。
よしもと そこは無視できないんですよね。 昔、マンガ家の白山宣之さんと一緒に飲んだとき、「社会問題とか社会性みたいなことをマンガで描いていくときに答えが出ないものもあるし、どう描いたらいいのか」みたいなことを話したら、「お前バカか」って。「起きてることをそのまま描けばいいんだよ」って言われて。「 あ、それだ!」って。
それは本当に目からウロコでしたね。そのまま描けばいいのか、答えは読者が出せばいいのかって。以降、そのスタンスです。コロナ禍に描いた「OHANAMI 2020」にも、それは表れています。
太田 たしかに、そうですね。では最後に、『完本 青い車』は9月29日ごろに全国書店に並ぶ予定です。やっぱり若い世代にちゃんとこのマンガが読まれる機会を作っていかないといけないですね。
よしもと ノスタルジーではなくて、今の視点で、今これを出す意味をすごく考えて、まとめたつもりです。絶版になってる間が空白になってしまったのもあるし、あと……メディアの側が、なんというか1990年代に対してすごく都合のいいこと言っているなと感じるんですよね。
「90年代は閉塞の時代」みたいな。いやいや違うでしょ。時期によっても違うし、1995年の時点で「青い車」は何か風通しのよさみたいな、突破できる部分みたいなのを提示できたのでは?と思っています。
あと同時期に、音楽だとたとえばサニーデイ・サービスが『若者たち』をリリースしたりとか、スピッツもすごくブレイクしていましたよね。ほかにもいろんな側面があったと思うんです。……そうだ、フィッシュマンズ『空中キャンプ』が1996年ですよ。そういえば、ちょっと関係ない話になっちゃうけど、この間『ele-king』の野田努さんから「来年は『空中キャンプ』30周年です」ってメールが来ましたね。
太田 けっして懐古主義で出すわけではないのは間違いないですし、何のバイアスもかからない層にも届くように、いろいろと手を尽くしていきたいと我々は思いますので、90年代にあったひとつの意識が彩りを加えて広がっていけばいいなと思います。
よしもと これは自分の感覚なんだけども、新装版の絵は描き下ろしたんですが、ロゴはあえて古いままにしました。デザイナーとしては新しくしたいって思うだろうけど、あえて昔のものを使ったほうが新鮮だと思ったんです。本当に、タイムレスなものを描こうとしていたので、今も読めると思っています。この30年の間で失われちゃったものもきっとあるだろうけど、時代が経っても変わらないものもここにあるはずなので。

よしもとよしとも
1964年3月14日⽣まれ。神奈川県出身。1985年、角川書店の少女漫画誌『月刊 ASUKA』第1回まんがスクール入選作の4コマ漫画「日刊吉本良明」でデビュー。活動の場を青年誌に移し、双葉社『週刊漫画アクション』連載作品「レッツゴー武芸帖」「東京防衛軍」、短編作品集『よしもとよしとも珠玉短編集』を発表。唯一無二の先鋭的な作風で人気を得る。10年間の沈黙を経た2020年に講談社『MANGA Day to Day』にてコロナ禍の格差日本を描いた短編「OHANAMI 2020」を発表。現在の代表作として、講談社『コミックDAYS』で無料公開中
よしもとよしとも『完本 青い車』

『完本 青い車』
2025年9月29日(月)より一般発売
著者:よしもとよしとも
収録内容:「青い車」(1995年)/「オレンジ」(1996年)/「ツイステッド」(1995年)/「マイナス・ゼロ」(1995年)/「一人でお茶を」(1996年)/「NO MORE WORDS」(1995年)/「銀のエンゼル」(1991年)/「ライディーン」(1997年)/2025年版セルフライナーノーツ収録
サイズ:A5/並製/200ページ
定価:【一般書店】1,800円(税込1,980円)
【QJストア限定】2,700円(税込2,970円)
※QJストア限定は通常版+別カバー1点+ポストカード3点の展開予定
※QJストア限定版は、2025年9月15日(月)までのご注文に限り直筆サイン入りとなります
関連記事
-
-
九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「猛暑日のウルトラライトダウン」【前編】
『「SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE」~ハイヒールとつけまつげ~』:PR -
九条ジョー舞台『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「小さい傘の喩えがなくなるまで」【後編】
『「SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE」 ~ハイヒールとつけまつげ~』:PR -
「“瞳の中のセンター”でありたい」SKE48西井美桜が明かす“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】
「SKE48の大富豪はおわらない!」:PR -
「悔しい気持ちはガソリン」「特徴的すぎるからこそ、個性」SKE48熊崎晴香&坂本真凛が語る“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】
「SKE48の大富豪はおわらない!」:PR -
「優しい姫」と「童顔だけど中身は大人」のふたり。SKE48野村実代&原 優寧の“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】
「SKE48の大富豪はおわらない!」:PR