20210613:夢と現実の間【許豊凡(INI)エッセイ連載「0000/00/00」第2回】

文=許 豊凡


グローバルボーイズグループ・INIのメンバー・許豊凡が、いつかは忘れてしまうかもしれない「ある一日」の心の動きを大切に書き留めるエッセイ連載。

連載第2回では、留学中に経験したコロナ禍での不安や迷い、そして覚悟を決めて参加した『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』での仲間との出会いと成長を綴る。

※本稿はWEB版オリジナル原稿です。第3回は2月13日(金)発売の『Quick Japan』vol.182に掲載します。

20210613:夢と現実の間

許豊凡(しゅう・ふぇんふぁん)1998年6月12日生まれ、中国出身。慶應義塾大学在学中に『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』に出演し、グローバルボーイズグループ・INIのメンバーとしてデビュー。2025年4月からはレギュラー(不定期)として情報番組『Day Day.』(日本テレビ)に出演

僕はいまだにあの日のことを、夢だと思っている瞬間がある。

深い睡眠から急に起こされたとき「今日はなんの日?」「今日の予定ってなんだっけ?」と、頭の中はカオスで、朝か夜かすらわからない瞬間が定期的に訪れる。自分が誰かわからないし現実感もない。まさに夢と現実の境目だ。繰り返しのあの瞬間の中、僕は何度も今の生活が夢だと錯覚したことがある。

2021年6月13日。僕はINIのメンバーになった。書類を出したあの日から約半年間、人生がガラッと変わって、何度も何度も夢で見た景色が、いざ目の前に現実になった。

2020年、コロナが突如、僕の母国のほうから流行り出して、この社会に生きるすべての人の人生プランを狂わせた。僕もそう。授業もサークル活動も就活も何もかもストップがかかって、社会の常識がこれほど覆されることは誰にとっても初めてだった。時間だけがそのまま流れ続けていた。みんな何かしらを模索しながら元の生活を取り戻そうとしていたが、なかなかうまくいかない。ひとり暮らしをしていた僕も、今まで頼りにしていた人たちと物理的に距離を取ることになって、毎日ひとりの部屋で将来について考えていた。しかし考えれば考えるほど不安だった。

4月になり、スケジュール上は大学が始まっていたが、実際は始まっていなかった。授業もオンラインでしか受けられず、サークル活動も当然再開していなかった。コロナの状況は母国のほうが先に落ち着いたので、家族のことを考えて僕は一時帰国することにした。再び日本に戻ってくるときはいつ、どんな状況なのかまったく想像のつかないまま空港へ向かった。

中国でいろんな壁にぶつかりながらあっという間に7カ月が経った。12月のある日、いつもどおりにダンスレッスンを終えた夜にメールボックスをチェックしたら、久しぶりに日本語のメールが届いていた。最後の挑戦として応募した『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』の書類審査に受かった連絡、そしてその2週間後に、次のオンライン面接があるとのことだった。

結果を待っている間に、正直今回も同じような結果になるのではないかと不安な部分もあった。だからメールが届いた瞬間、僕は涙が出るほど喜んでいた。しかしその直後、ある事実が明らかになった。そして僕は再び選択を迫られていた。

当時、国と国の行き来は今ほどリアルタイムに行われていなかった。隔離という制限が国と国の間に見えない壁を立ち上げ、すべてのことに2週間のタイムラグが課されていた。次の面接の結果発表から最終面接までの時間が案外短く、当然このようなタイムラグも許されていなかった。つまり最終面接に間に合わせるには、今の選考の結果を知らないまま、急いで日本に戻なければならなかった。ここであきらめる理由もなかったし、少しでも可能性が残っていれば当然賭けるしかないと決意した。

長いようで短かった7カ月だった。コロナで変わり果てていた空港に着いた瞬間、これほど長く家族と一緒にいられる時間というのが、この先にもしかしたら二度と来ることはないと悟った。

2021年1月30日21時、「オンタクト評価」を通して僕含めて101人の練習生が公開された。今この連載をご覧のみなさんの中には、ここで僕と初めて出会った方もいらっしゃるかもしれないね。その少しあと、この「オンタクト評価」の結果が知らされ、正式に合宿が始まった。

7カ月もまともにしゃべっていなかった日本語が訛っていた。そしてなにより、少なくとも過去1年間、僕はまともに人との交流をしてこなかった気がした。そもそも前述のとおり、僕は「フェンファン」という名前もまだ聞き慣れてなかった。そんな合宿の最初は、集団生活の感覚を取り戻すことからだった。

今までの人生は、なんだかんだ根性だけは人に負けないという謎の自信があったが、今回は違った。あんなに大勢の人に、見えている人にも見えていない人にも評価されることも初めてだったし、自分の一挙手一投足がすべて誰かに記録され、愛と化したり、嫌悪と化したり。みんな必死だった。寝る暇なんてなかった。だって自分が寝ている間に誰かががんばっていたかもしれない。通信機器が没収され、外界とのつながりも絶たれていた僕たちはひとつの小さな社会を作り上げていたと言っても過言ではない。時間が今までの人生になかったスピード感で流れていて、1日が普段の1週間、1カ月のような密度だった。練習生のみんながよきライバルであり、仲間、戦友でもあるという素晴らしい関係を築いた。みんな同じ目標に向けてがむしゃらに毎日を過ごしていた。いずれ別れの日が来るのを覚悟しながら。

番組の放送と制作のスケジュールの関係で、1回目の合宿の終わりに3週間の休みがあった。外はすでに春だった。休み中にも時々みんなと連絡を取り合って、誰かの家に集まって放送を見ることもあった。いつぶりだろう、こんなにもしっかり春が春らしく感じたのは。桜も散ってほしくないし、この春も永遠に終わりに向かってほしくないな、とある瞬間思ったりした。

でもそんなことは当然なかったし、休み明け、さらなる残酷な競争が始まった。人が限界まで追い込まれたら、ほんとにわけわからない行動を取ることになるんだなと思った。僕もそうだった。「自分らしく!」とかそういうふうにしたくてもできなかった。でもやるしかなかった。もう先のことはどうなってもいったんはいいから、今日一日を後悔のないようにがんばろうと、毎朝自分に言い聞かせていた。

それで6月13日、いよいよファイナルの日だった。前日の6月12日が僕は23歳の誕生日で、リハーサル終わり、みんなが乗っていたバスの中でまさかのサプライズをいただいた。あの状況で、誰かが自分の誕生日を覚えてくれたこと自体が僕にとって最高のプレゼントだった。すごくすごくうれしかったな、と今でも覚えている。だけどファイナル当日の朝はどういう気持ちで起きたか、どういう心構えで会場に向かったのかは正直覚えていない。もはや何も考えてなかったのかな。いや、何も考えられなかったのかもしれない。だって会場はもう目の前にある。

デビューメンバーとして名前が呼ばれた瞬間、僕は真っ先に何を思い浮かべたのだろう。あの瞬間について、記憶の隅を一生懸命探ってみたが何も思い出せない。それほど真っ白だった。あれだけ夢で見ていた景色をこの手でつかんだ瞬間、海馬体も言語野もどうやらうまく機能してなかったみたいだった。情けないな。

でも席に向かって歩いたあの花道、間違いなくそれまでの人生で一番キラキラした景色だった。それだけは覚えている。

夢のゴールであり、新たな夢のスタートでもあった、あの日。

第3回は2月13日(金)発売の『Quick Japan』vol.182に掲載します。

【通常版】『Quick Japan』vol.182

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許 豊凡

(しゅう・ふぇんふぁん)1998年6月12日生まれ、中国出身。慶應義塾大学在学中に『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』に出演し、グローバルボーイズグループ・INIのメンバーとしてデビュー。2025年4月からはレギュラー(不定期)として情報番組「Day Day.」(日本テレビ)に出演