世の中を覆っている不安が消えていく時が来るんだろうか
木が燃えながら立てる音、炎の揺れ、煙の匂い、そういうものが人の心にどんな作用をもたらすのかということは掘り下げればいろいろあるんだろうけど、もっとわかりやすい次元で、火はやっぱり特別だと思った。
最初はうまく炭に火が移るかどうかすら不安だったのが、それがなんとかなると、今度はコントロールが難しい。火が大きくなると怖くなるし、しっかり様子を見ていかないと徐々に小さくなっていく。目を離さず、手をかけてひとつの焚き火を一定の状態にキープしていく、というような心構えで向き合うことになり、気づけばすぐに時間が経っている。
枝に火が移り、燃え上がり、真っ白い灰になっていく、それを見ていたらどうしても命の始まりと終わりを連想せずにはいられない。これは私が大げさに言っているのではなく、どうしてもそうなのだ。何もかもが始まりから終わりに向かっていくという宿命の象徴が火で、同じ運動が生命とか人生とかいったものに共通してあるから、見ているとそれを連想させる。
今の世の中を覆っている不安が消えていく時が来るんだろうかと考えて心細くなったり、とにかくできるだけ慎重に生活して、あとはなんとか楽しみを探していかなくてはな、とちょっと力強い気持ちが湧いたり、次々と考えごとが尽きない。「キャンプの醍醐味は焚き火にあり」みたいに言う人がいると聞いていたが、火を見ながらいろいろなことを考える時間こそが特別だという意味なんだと思う。
と、まあそんなことを言っているわりには、「さあ、そろそろ日が暮れそうだし帰るか」と、いつでもパパッと焚き火を切り上げられるのが「ファイアーディスク」のいいところ。処分しやすいように炭をトングで砕いて火を小さくしていき、きちんと消火し切ったところで灰をゴミ入れへ。皿の表面を水で流して布で拭き取ってケースにしまい、肩に担げばもう帰り支度も完了である。さっきまで火を見つめてうっとりしていたのが嘘のようにスタイリッシュな状況。焚き火の完全犯罪成立である。
青空と白い雲を映していたピカピカの皿は一回の焚き火で黒くすすけた。インターネットで検索して使い込まれた皿の画像を見ると、使うほどに鈍色になっていくものらしいが、それはそれで味があるものに見える。私も今後これをどんどん使い込み、いつかできた“焚き火仲間”に見せ、「おお、この風合い。焚き火歴、さてはけっこう長めですね?」とか言われるようになりたい。