みなみかわ、「新喜劇おもしろいな」と言ったMさんの思い出。実在する刑務所の演劇集団が表す“何か”とは<映画『シンシン/SING SING』レビュー>

2025年度の「アカデミー賞」で主演男優賞・脚色賞・歌曲賞にノミネートされた『シンシン/SING SING』が、4月11日より公開されている。
本作は、ニューヨークのシンシン刑務所で実際に行われている、収監者更生プログラムの舞台演劇を題材とする物語。無実の罪で収監された主人公・ディヴァインGが、仲間たちと同プログラムを通じて心を通わせるさまを描く。主要キャストの85%以上がシンシン刑務所の元収監者で、舞台演劇プログラムの卒業生及び関係者である俳優たちであることも話題を呼んでいる。
「死ぬのは簡単だ、喜劇は難しい。」とのキャッチコピーもつけられている『シンシン/SING SING』から、吉本新喜劇を通じて心を通わせた「Mさん」とのひとときを回想したみなみかわ。注目の新作映画を熱血レビューする「シネマ馬鹿一代」第11回。
「意味とかじゃないねん。ただおもろいねん」
恥ずかしながら小学生のとき、吉本新喜劇のマネごとをしたことがある。
小学3年か4年だったか。なぜかクラスの中でグループに分かれて出し物をしないといけなくなり、ひとつの授業をつぶしてまでみんなで吉本新喜劇をやることになった。
もちろん何か新しいものを創出できる能力があるわけもなく、桑原和男師匠や池乃めだか師匠、チャーリー浜師匠など、有名な方々のおなじみのギャグを簡単なストーリーの中に入れていくという、微笑ましくも顔から火が出るくらい恥ずかしいことをしなければならなくなった。
なぜなんだ? 先生の意図はわからない。今となっては「面倒だから生徒に何かやらせとけ」的な感じだったとは思う。
で、毎週土曜に急いで帰って『よしもと新喜劇』を観るだけのただのお笑い好きの男子の私に、クラスメイトが聞いてくる。
友人「『ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー(末成映薫師匠のギャグ)』って、どんなときに言うん?」
私「いや登場のときにやろ」
友人「それってどういう意味?」
私「意味とかじゃないねん。ただおもろいねん」
友人「ふーん」
ギャグの説明ってなんて不毛なんだろうと、私は痛感した。クラスの半分以上は新喜劇を観ていたから知っているが、まったく見てなくて知らない子もいる。
そしてそのとき振り分けられた私のグループの中に、Mさんという女子がいた。Mさんは遅刻が多く、勉強もできるほうじゃなく、クラスから浮いていた。いつも同じ服を着ていたように思う。でも別にいじめられてるという感じではなく自分の世界が強く、ただただ友達が少なかったように思う。
Mさんは首を少し傾け不思議な表情で近づいてきた。
Mさん「この『神様ー!』(桑原和男師匠のギャグ)っていうのはどういうときにやるん?」
私「それはなんか神妙な空気のときにひとりでしゃべんねん。で、だんだん関係ないことしゃべんねん。ひとりで。それがおもろいねん。全部完結して『ご清聴ありがとうございました』って言うねん」
Mさん「ふーん」
Mさんは新喜劇というかお笑いに興味がなく、未知の世界といった感じだった。初めてこんなに話す。
Mさん「なんでみんなコケるん?」
誰かがボケたらほかの共演者がコケるのを不思議がっていた。たしかに言われてみればそうだった。
私「誰かがボケたらみんなコケんねん」
Mさん「なんで?」
ごもっともな反応だ。
私「なんでって言われても、そうするんやもんなぁ」
Mさん「そのほうがおもしろいんや?」
無理やり理解した感じで言ってくる。
私は会話を切り上げるように言った。
私「……うん。おもしろい……と思うで」
少し面倒だった。正直「俺に聞いてくんなよ」と思った。
驚いたことに一度、家に電話かけてきて聞いてきたこともあった。
Mさん「新喜劇おもしろいな」
私「……いや学校でいいやん」
小学生男子にありがちな、女子から電話かかってきたことの恥ずかしさとバレたくなさで、ぶっきらぼうに接したと思う。
そして本番の日が差し迫った給食の時間、おかずのひとつに蒸したさつまいもを輪切りにしたものがあった。ひと口で食べるには大きくて、上品な女の子は少しずつ食べていた。
何気なく私は、斜め前のMさんを見た。上品な女の子が小さい口で食べてるのを横目に、Mさんは大きな口でさつまいもを丸飲みした。私は、Mさんの横目とタイミングと、丸飲みの仕方がなぜか異常におもしろくて「下品やな〜死ぬ食い方やん」と、笑いながらツッコんだ。
私の言葉を聞いて「バレた!」という顔をしたMさんも、口を押さえながら笑い転げた。クラスのヒエラルキーや、男女の違いや、なんやかんや全部忘れるくらいクラスで私たちだけが笑ってた。
そのあとクラスの新喜劇でどんなことをしたかまったく記憶にないが、あのとき腹痛くなるくらい笑いを共有したMさんの顔は忘れられない。
囚人たちが表現する“自分たちにしかできない何か”

『シンシン/SING SING』を観た。
刑務所という閉塞感の塊の中で演劇をする。それ自体がかなりハードルが高いはずなのに、みんな何かを求めて演技をする。
普通なら混じり合わないもの同士のぶつかりや憤り、芽生える絆。それが本物の元囚人で演じられるんだから、これ以上ない臨場感。ほかの奴から見たら「何をしているんだろう? 何がおもしろいんだろう?」と思われても仕方ない。

でもその瞬間、自分たちにしかできない何かを求めて演技する。シチュエーションも苦悩もまったく違うレベルだけど、この作品を観たらなぜかMさんと笑い転げた日を思い出す。
みなさんにもぜひ観てほしい。
映画『シンシン/SING SING』

4月11日(金)TOHO シネマズ シャンテほか全国順次公開
監督:グレッグ・クウェダー
出演:コールマン・ドミンゴ、クラレンス・マクリン、ショーン・サン・ホセ、ポール・レイシー
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