メンバー間の仲も険悪、鳴かず飛ばずの6人組の弱小ボーイズグループ「8koBrights(エコーブライツ)」。七十年後の世界からやってきた双子のアリスとキルトは、未来では禁忌とされた「夢」を追いかけてアイドルとして活動していた。
ふたりの秘密の告白を受け、その重さにひとり耐えるメンバーのサトシは、社長のヤスに心の内を打ち明ける。一方、「個性恐怖症」に悩まされていたアリスはボーカル・レンの覚醒によって彼の「天才」に惹かれはじめていた──
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第1回 タイムスリップ
第2回 個性恐怖症
第3回 夢の功罪
第4回 被害者たちのスイーツ
<登場人物>
キルト 七十年後の未来からやってきた双子の弟。過去の菓子に目がない。メンバーカラーは紫。
アリス 七十年後の未来からやってきた双子の兄。過去語マニア。個性恐怖症。メンバーカラーは橙。
レン ダンス、ボーカルともにエコブラの絶対的エース。しかし、実力を試される場ではうまく力を発揮できない。メンバーカラーは黄。
シンイチ 個性の強いエコブラのサブボーカリスト。美容担当。メンバーカラーは青。
リュウ エコブラのリーダー。ダンスの実力はピカイチだが、かなりの俺様気質。メンバーカラーは赤。
サトシ エコブラのサブリーダー。ダンスもボーカルもラップもこなすオールラウンダー。アリスとキルトのタイムスリップを知ってしまう。メンバーカラーは緑。
ヤス エコブラが所属する事務所、株式会社キャッツクレイドル社長。元メンバー。
伊佐木 エコブラの頼れるメインマネージャー。メンバーのプライベートにおける相談役。
朱里(あかり) シンイチの妹。キルト、咲世、十季の四人で定期的にスイーツ巡りをしている。兄のことはまったく尊敬していない。
咲世(さきよ) レンの姉。早くに両親を亡くし、ひとりでレンを育てる。シスコンぎみのレンに若干引いている。
十季(とわき) リュウの弟。兄のことはわりと慕っている。キルト曰く「リュウよりビジュがいい」らしい。
第5回「天才」の危険性
ヘッドスパをふたりで受けたあとで、「いやーすっきりしたなあ。やっぱ自分も出役やねんから。瞼ピクピクさせてファンに心配されてたらあかんよ。まあそれ込みでサトシは愛されとるけどな」とヤスは言った。
「や、マジで右目の開き具合が違うよな。視界が二倍に広がったわ」
「せやろ」
「昨夜はどうだったん? スジトリちゃんは」
「ああ、やっぱアンチコメで病んでて、それでそのストレス対策の美容を上げて、それでまたアンチコメで病んで、そのストレス対策の美容を上げる、その日々の焼き直し感が限界っぽかったから、すこし休ませようと思うんよ。うちのマネと仲いいから、韓国旅行の手配をしてあげていっしょに無理やり行かせることにしたら、さいしょは絶対行かないって言ってたけど、最後のほうはじょじょに元気出てきてたと思う。ま、けっきょく韓国でも美容皮膚科に行ったりコスメを買いに行ったりとか半分は仕事やねんけどね。彼女は酒も飲まんからな。ストレス解消が美容なのに、それでさらに病んでたら本末転倒やねん」
平日とはいえ人の多い青山通りでも、ヤスはいつもしぜんに半歩先を歩き、それについていけばストレスなく街を歩くことができた。ときどきは顔をさされることもあって、うれしくないわけでもないし、緊張しないわけでもない、でも今日はやっぱり疲れが先にあって笑うのが辛い。そんな状況でもヤスがスッと人のいない路地へ入ってくれたりして守ってくれる。だからサトシもなにも考えず、ヤスと話しているとしぜん、ヘッドスパ同等の癒やしを得ることができた。
そんなふうに他愛ない雑談をしながら歩いているサトシの足がすこし痛みはじめるその一分前に、しぜんにヤスの足が雑居ビルの二階にある珈琲ショップに入っていった。
「サトシ、珈琲すきやろ。ここでちょっと話そうや」
「えーありがとう。ええ店やなあ」
オーディションのときから数少ない関西勢でサトシは孤独で、ダンススキルもボーカル力もないわけではないが突出しているものもない、愛嬌を振りまくこともやり切れない自分は「ボーイズグループ」と「アイドル」の比重をうまく乗りこなしていけるのか。サトシは出役にしては自意識が内向的すぎていた。
「なあ、サトシはぜんぜん自分の話せんとみんなの聞くばっかやん。ぼくには聞かせてくれん? なんでサトシはボーイズグループを目指しとる?」
パフォーマンスが上手くいかなかった夜の星のした、うまくカメラを誘導するみたいに二人きりになってそう聞いてくれたのがヤスだった。
「ぼくは……音楽が好きやねん。音楽がある場でしか、生きられんて、十三歳のときにそう思った。ダンスでもラップでもボーカルでも、正直なんでもええって。音楽があれば、それに自分が参加できていれば。でも、だからどれも中途半端になってしもて、それを指摘されてぼく、いま苦しいよ、ヤス」
「それがサトシの唯一無二やん!」
そのシーンの放送後、サトシの視聴者票がグンと伸びて一時期はデビュー圏内にまで食い込んだ。
だけどヤスはビタリ止まったまま落ちも上がりもせずにいた。ヤスは方言から関西の、それもあきらかに大阪の出身だということは分かりきっていたから安心していて、どうしてこのオーディションを目指したかなどの出自を聞きそびれていた。子どものころから両親が不仲で、アイドルを目指していることを今でも反対されて勘当状態にあり「家族との絆」を謳えなかったサトシに比して、ヤスの生い立ちは番組内でも判明しないままシンプルに視聴者投票も主宰からの評価も振るわず落ちた。
ヤスはいま発揮しているマネジメント能力をあのころは充分にアピールできておらず、ただ目立たないばかりで落ちた。こんなに他者に尽くせてメンバーに平等に愛を振り撒けるヤスは事務所のなかでも浮いていて、だからこそ社長業はよく合っている。
「そんで、どした? 相談って」
サトシはヤスに水を向けられハッとした。
どうしても言わなきゃいけないことがあるのだった。
「ごめん、ヤス。スパにまで連れ出してもらって、いつも元気くれて、申し訳なくて……、すごく……ええと」
サトシは言いあぐねる。スパによって副交感優位になったいま、なにかつよい決断を口にすべきだろうか? いまさら、迷いはじめていた。
これはタイでアリキルから未来人であることを告白されたときから、ずっとそうだった。非現実、超現実を突きつけられて、ついていけない、ただたんに、ここから居なくなりたい。
なにもかも忘れたい。だから何度かアリキルに、「お前たちが未来人だってことは聞かなかったことにする。だからお前らも二度とそれを言わないでほしい」と言おうとした。きっとそう言えば二人はその通りにするのだろう。
だけど、果してそれでいいのか? それがいいのか? エコブラのことは愛していたし、戻るべき家も行く場所もない。けどいまはアリキルのそばにいるのがこわくて辛い。なにが起きるか分からず、現実がこれまでの「現実」じゃない。これまでだったら起きえなかった、想像すらできないなにかがこの一秒後に起きるのかもしれない。シンプルにそのストレスがあった。
くわえて、一年後にレンが身体を壊してエコブラは空中分解するとのこと。だったらいま自分がここにいる意味ってなに? だが他にできること、やりたいことがあるわけでもない。たとえ解散したとて、まだ音楽の仕事から離れることは考えられない。それに、アリキルのことも憎めない。未来から来たといえ、いやそれもサトシは完全に信じたわけではない、だけど、オーディションからはや一年半、ほとんど毎日顔を合わせている。エコブラは仲がいいグループではないけれど、同じ夢を追いかけていれば演技でも絆は生まれる。不仲という絆もあるのだ。でもだからこそ……
「……ごめん、ヤス、ぼく、いや、ごめん! いや違うやっぱり、ぼく」
「脱退したいんやろ?」
落ち着いたヤスの声を聞いて、サトシはおどろいた。しかしこれまでにもたびたび、ヤスに本心を見抜かれることはあったから、それほど動揺するわけではない。それでも、動揺と感動の丁度中間のような情緒にサトシはなった。
「え、え、なんで?」
「だって、顔に書いてあったやし。顔っていうか瞼ピクピク? モールス信号みたいに。昨日の撮影んときから。「シタイ・ダッタイ」みたいな感じやったよ」
「ぜったいうそやん」
ついサトシは笑ってしまった。店に入店して届いたコーヒーをひとくち飲んで二十分、そのアロマが脳天を突き抜けるような感覚とともにカフェインが血中をめぐった。スパで副交感優位になったところを貫くように一気にハイになってもっと笑った。
「まってガチでツボ」
こんなに笑うのは、いつ以来だろうと思う。
もちろんYouTubeなどの撮影中に、メンバーのや天然ぶりに笑うことはあったが、それもどこか演じていた。それでお金を稼いでいる。サトシはそのことでつねにビクビクしている。かつて両親に言われた「アイドルなんて、夢や元気を与えるとかどんなにいい風に言ってもしょせん搾取だぞ。わかってんのか?」がチラついて。
「サトシはなー。抱え込むよなー。オーディションのときもさ、いっしょにパフォーマンスするメンバーが炎上してるのが気がかりで、集中できなかったりしたよな。当人はむしろそのことで負けん気に溢れてたっていうのにさ」
「あんときはね。辛かったな……。スマホを取り上げられてたからさ、炎上してることは知らないのにさ、なんかスタッフさんとかの空気感とかで分かるし、けっきょくどこかから噂が広まっちゃうんよな。だからあんときメンバーのさ、マサヨシくんが孤立しちゃって。ぼく、話しかけてもむしろ、「気を使われてる」って思われてさ……」
「な、シンイチみたいに自分の美しさを分け与えることが世界を平和にしてるんやからって、だからもっとギャラを上げろって言ってもええんやで。まあそれができるかどうかは別やけど」
「シンイチマインドな。エイシスもそれハッシュタグで朝投稿してメイク頑張ってたりするしな。むしろ男の子のほうが多いってすごいよ」
「分かってる。サトシはいま誰にも言えんことがあるんやろ?」
ヤスはなにげなく言い、サトシの瞳をのぞきこんだ。
するとサトシは悩みを忘れる。いつもそうだった。ヤスの目をまっすぐに見て真剣に話していると、考え込んでいることの結び目を優しくときほぐされていくみたいに。
「サトシはそれでええんや。サトシがいないとウチはそれぞれの我(が)が音楽に悪いほうに影響が出る。踊りも声も、ぜんぶがぜんぶどぎつい天然色やとあかんねや。やからなんも気にせんといい。ぼくにまかしとき。一年後、いまは想像もできない景色をぼくが見せたる。な、今夜はゆっくりねむれそうか?」
「え、あ……うん。ねむれそう、かな。ヤス。おまえ……」
「レンもなあ、ほんまはまとめて休ませたいんやけど、リュウが連れ回しとるやろ? レンは男親も男きょうだいもなく育ったし、そういう愛情に飢えとるんよな。やからつい、必要とされたら無理してまうんや。な。サトシがうまくバランスとったってくれ」
「あ、うん。そうだね。あきらかに、パフォーマンスにも影響が出てきてるし」
「あとこれ、さっきのスパの回数券。サトシもちょっとはシンイチを見習えって。この仕事、練習よりなによりセルフケアが一番のプロ意識やぞ」
「あ、ありがと。金、これ、高いんちゃう?」
「ええから。経費にきまってるやろ。なんも心配すんな。無理に笑うこともない。サトシのファンはありのままのお前が好きなんやから」
そういって、ヤスはスッと会計を済ませて去っていった。
サトシはひとりで窓外をボッと見やる。二階の窓に伸びる枝葉のさざめきで、秋が近いことがわかる。せっかく表参道にきたのだから、すこし服でも見て帰ろうかと、サトシはいつの間にか昨日まで思い詰めていた悩みが霧散していることに、気づきもしない。
3
アリスはステージの夢を見ない。
*
幼いころ、よくアリスのベッドに潜りこんできて「ねむれない」とキルトは言った。
その時代の言葉では「ねむれない」っていうのはある種のスラングで、なぜなら本当に眠れないなら睡眠導入モードをオンにしてタイマーを設定すれば済む話だからで、「ねむれない」というのはすなわち「お前に話したいことがある」ってことだからアリスは、「どうした?」って聞いた。
そうだ。そうして理想の睡眠を手に入れた人類は元気いっぱいで、だけど「夢」だけがなかった。
AIに習った。七十年後の現代ではすでにそのワードを言うこと自体が禁忌とされている「殺戮」「戦争」「性暴力」そのようなものの原動力、或いは動機として「夢」という概念は危険視されていた。それは言い方の問題でよくポジティブワードに言い換えれば引っかからない「悲願」「理想」「伝説」「目的」、そんな言葉なんて色々あったけど、過去研修の過程でアリスとキルトはそういう野蛮な語彙をひとつずつ学んでいった。
「おれ、「アイドル」ってのに、なりたいんだよなあ」
しばらく同じベッドの横でムズムズし、ひしゃひしゃ笑い合ったあとで、ひとりごとのようにキルトは言った。いまから五十三年と十一ヶ月と二十日と十三時間六秒後、当時十三歳のキルトはそう言って、アリスは「いいよ」って言った。
「え? なんて?」
「だから。いいよ」
「そんなかんたんに。「アイドル」なんて、野蛮な言葉、おれは口に出すだけでおそろしかったぞ」
「だって、知ってたし」
キルトが「アイドル」だなんて、ふつうは口に出すだけで恐ろしい野蛮すぎる言葉と、それを表現するひとらに憧れキラキラしているのは、はたから見て分かりきっていたから。
アリスは「アイドル」に興味はなかったけど、「夢」には興味があった。過去人があれほど執着し、家族を不幸な目にあわせたり、身体を後戻りできないほどボロボロにしたり、ときには人を殺したりしてまで、追い求める巨大なエネルギー。とくにアリキルの祖先の一部である「日本人」は平均睡眠時間を大幅に削り健康状態を損なってまで、「夢」を追い求めた。
いま、アリスは自分が求めていなかった「アイドル」としてステージ上から、自分が知りたかった「夢」を目の当たりにしている。
全国ツアーに先がけたミニアルバムのリリースイベントで、収録された楽曲はどれもメインボーカルをレン、サブボーカルをシンイチとアリスという三人ボーカル体制でつくられた。これまでであれば明らかにレンが担うべきメインのハイトーンパートの一部が、アリスに割り振られていたりもした。これ自体はもともと未来で読んできた過去ログにある通りで、喉を悪くしたレンの負担を軽くするためにアリスが主旋律を担うボーカル隊の一員に加わるのは予定通りといえたが、時期はすこし早まった。いまはその再計算のためのデータをせっせと未来に送っているところだった。
そんなさなか、レンが「覚醒」した。
野外ステージに散った桜の花びらが落ちていた。ダンスで滑らないよう出来る限り事前に取り除かれたが、どこで咲いているのか、桜の樹からひっきりなしに舞ってきてはステージ上に溜まる。
それが、風のないはずのステージに、舞い上がる。不思議とレンが歌うたびに。
全国を回るステージを重ねるごとに声がすこしずつ、変わっていき、アリスの目をよく見るようになった。
アリスは引っ張られる。レンの強烈な「個性」は、しかしアリスに吐気をもたらさない。
なぜなら、高度な技術に裏付けられた「個性」はすでに「個性」ではないからだ。
ときに「天才」と呼ばれるそれに、個性恐怖の症状は反応しない。
だけど、未来にはもうそんなものは滅多になくて、つまり芸術分野における個性の上位互換と仮説される「天才」なんて過去の遺物でしかなくて、ときどき辛い個性恐怖の症状がどうしても収まらないときに、昔の映像や再現AIにて鑑賞するクラシックな芸術・スポーツ・学問的創造性を疑似体験して吐気が収まりスッと気持ちよくなる。
だけどそんなのも、ほんの一瞬のことだ。七十年後の人間にとって過去人のパフォーマンスやつくる物の感動はすぐに慣れる。多くはただのノスタルジーでしかなく、もっと優れたものがすぐに検索でヒットしサジェストされる。だが、検索でヒットした未来の「創造性」ではどうしてか個性恐怖の症状は和らがないのだ。
どうやらそれは「天才」ではない。個性恐怖の症状は、「天才」でしか収まらないようだ。しかし七十年後の技術や計算をもってしてさえ、「天才」を定義付けすることはかなわず、主に精神医学の分野でそれは問題視された。仮説によると人文科学、とりわけ「批評・文学」と呼ばれるものの衰退がその要因でないかと言われたが、そもそも七十年後には新しい「批評・文学」などはなく古典でしかない。
アリスがこの時代の「夢」を追い求めたのは、自身の個性恐怖を克服する「天才」の秘訣がこの時代の「夢」にあることを、直観したせいだ。
だけど、いま、レンのボーカルを浴びて輝く、ステージ上から、吸い込まれるように見ているファンたちの視線を浴びて、変わり始める。
それはどちらかというと、アリスの声のほうだった。
*
じぶんの声に嘔吐する。野外に併設された仮設テントのトイレで胃の内容物を吐きつくし、あたまのなかで鳴りつづける健康アラートを止める余裕もなくうるさい。トイレを出たアリスに「おい、だいじょうぶか?」とキルトが常温に戻したペットボトルの水を渡した。
「ここのところ毎回だぞ? 今日はたまたま「死後コレ」がラストだったけど。いったいなにが起きてるんだ?」
「うん。まさか、自分の声で酔うなんてな」
アリスは水を受け取り、一気に半分ほど飲み下した。
「明らかに「個性」出ちゃってるぞ。どうしたんだよ。アリスらしくないよ。このままじゃ未来から帰ってくる再計算が危ういぞ。レンとアリスのユニゾンが受けて、ミニアルバムが売れまくってるぞ。このままじゃ、目立ったライバルのリリースがないとはいえ、オリコンもビルボードでも首位をとる。おれらこんなに売れてだいじょうぶなのか? こんなの予定になかったろ?」
「これがおまえが「夢」見た「アイドル」だろ。責任とれよ」
*
ミニアルバムのタイトル曲になった「Choreo after death【死後のコレオ】」は作曲家集団である「伝説のパーティー」(それがアーティスト名)の間で、できた瞬間に「これは流行る」という確信があった。だから歌詞のとくにラップのリリックをだれに依頼するか、なにより、どのグループに楽曲提供をするかという選択肢が慎重に協議された。いくつも楽曲依頼を抱えていた「伝説のパーティー」の面々はタイミングや楽曲の難易度に応じて、ある程度は自由に提供先を選べる立場にいた。しかし「死後のコレオ」に関しては提供するグループの選択肢はそれほど多くなく、まず外れない条件としてあったのが「世界トップレベルのボーカル力を持つグループ」ということだ。ゆえに、リリックや振り付けがすでに人気を博す一流の面々につぎつぎ決定していくなか、肝腎の楽曲提供先のみ難航した。とくにボーカルラインを担当したトップライナー「伝説の賢者」がボーカルキーに拘(こだわ)った結果、すくなくとも一流のハイトーンボーカルが二名要ることが確定していて、一度はベトナムで活躍する男女混合グループに決定しかけたがそのグループが直前で活動休止の発表がなされた。こうして消去法的に「Choreo after death【死後のコレオ】」は8koBrightsへと回ってきたのだ。バンコクでアリスが嘔吐しながら披露した「Three-body」を目にした「伝説の賢者」が、「かれがいい」と言った。
「レンって子も素晴らしい。最初からこのグループにしとけばよかった」
まず、アリスが地声で張り上げるフェイクがラスサビへ繋ぐブリッジの開始を告げる。アリスのハイトーンに負けない太い声でレンが歌い始める。
レン(サブ:シンイチ):努力に目が眩(くら)んで泣いた
アリス(サブ:シンイチ):あの日振り絞れず泣いた
レン:声をいま握り潰して狂うよ
レン(サブ:アリス):さあ行こう
すぐれたクリエイターが「作品」によってなにかまだ顕現していないもの、あるいはその者にはけして知りえない事実を予言してしまう。そんなのはよくあることで、「Choreo after death【死後のコレオ】」は全体がまるでアリスとレンの現状とゆく末を予言するかのような歌詞、楽曲になった。こんなことは過去のログを読む限りでもあまりにもありふれたことだというのにアリスは動揺しつづけている。シンイチのハモリの表で、レンの歌声の伸びに引っ張られてアリスはレコーディングではなんとか抗生物質の効果で抑えられていた個性が、ステージでどうしても抑えられない。
だが、「天才」ではないアリスは自分の個性に怖気(おじけ)だつ。だからステージのたびに毎回嘔吐した。タイトル曲である「Choreo after death【死後のコレオ】」はイベント冒頭に披露することが多い。だから毎回ステージから一度捌けては吐くアリスの「体調不良」が「ハッコウ」たちによって心配されている。それなのに、声自体はステージのたびに良くなっていった。
「あんな声を間近で聞かされちゃ、しょうがないよ……」
レンは「死後コレ」のソロがハマって、ぐんぐん声が良くなっている。「Three-Body」のリリイベやテレビ披露を終えてすこしの休養を挟み、万全になった体調でミニアルバムを引っさげカムバすると、本来もっていたボーカルの力が開花した。レンはもともとがしっかりボーカルレッスンを受けてきたタイプではないから、今回みっちりと「伝説の賢者」さんの指導を受け、しっかり曲を自分のモノにすると「歌うことが楽しい」と微笑んだ、あの笑顔の恐ろしさがアリスは忘れられない。
初めての気持ち。アリスは嫉妬した。レンの「天才」に。
おれもレンみたいに、いやせめて普通の人間みたいに、吐気を催さずめいっぱい、自分を表現したい。
音楽のなかで、ステージの上で、全力で自分を表現したい。すっかり諦めていた、その気持ち。
それがレンの声ひとつで、こんなにも爆発してしまっていた。
だけど、どれだけ自分の能力を解放しても、それは叶わない。
「おれには「天才」はない。多量の抗生物質を使用したうえで吐気を抑えて能力を解放して歌ったところで、レンにはまったく及ばないし吐く。レンはすごすぎる……いや、レンに匹敵するボーカリストは他にもいるにしても、こんな間近でこの時代の「天才」を浴びて、それだけで、こんな気持ちいい。抑えられない。おれの「個性」も、レンに影響されて。ほんとうに嫉けるよ……」
「やける?」
キルトはずいぶん遅れて、その言葉の意味するところを理解し、震えた。
「アリス。やめろよ。このままじゃまずいぞ、おれら、重罪に……」
「分かってるよ。未来は変えられない。レンは「死後コレ」のヒットでますます喉を酷使して潰れる」
「そうだ。そもそも、ほんらい「死後コレ」のブリッジはほとんどレンひとりで歌うはずだっただろ? なのにアリスが「賢者」さんに指名されて断らなかった。あれはログ違反にあたらないのか?」
「おまえには分からないよ。キルトは「努力」が好きだろう?
「努力」が好きすぎるヤツは、どこか無自覚に「天才」に冷淡なんだ。「努力」の前では「天才」なんて些末というかどうでもいいというか、目に入らないんだよそのひたむきさゆえに。だからこの時代の人間は「努力の天才」とかいう矛盾した言葉が好きだろ? キルトはそういう人間だよな。おれは違う。「夢」とか「才能」ってのにどうも弱い。「天才」っていう圧倒的な存在が眩しい。「努力」してる最中にはほんとうには分からない。見える景色がまったく違うんだ。「努力」できる人間はすごいよ。けど「死後コレ」の歌詞にあるみたいに、そういうヤツは「努力」に目が眩んで「天才」が見えないんだ」
キルトは「天才」に興味ない。もともと踊りも歌もなにもうまくできない人間性ばかりの「アイドル」が、「努力」して歌やダンスがうまくなってファンに「夢」を与える、そんな暴力装置にあこがれて十三歳のある夜、アリスに「夢」を打ち明けた。この時代の「天才」のするパフォーマンスなんて、七十年後の人間にとってすれば、アリスみたいに特殊な「レトロ趣味」でもなければ見慣れたものだからだ。
だがその「レトロ趣味」ゆえに、アリスはキルトの「夢」の打ち明けに、「わかるよ」と応えた。
*
「努力」は未来でもとくに禁止事項として指定されてはない。レトロな疑似施設で「体験」できたりもする。「夢」とはちがいひとりひとりの人間が自身のそれを管理し個人的に楽しむ範疇であれば「努力」はほとんど無害であるものだから。ゆえに過剰摂取により健康被害を引き起こしたり、無暗に「夢」「天才」に繋がろうとしなければ、むしろ手ごろに体感できる過去時代の遺物として子どもの教育目的に推奨されてもいる。博物館などでのAI身体体験としては大人気のスポットであるのだ。
つまり、適度な「努力」は教育によいが、しかし度を越して「夢」ひいては「天才」に届かんとするようなら、処罰の対象となる。
「夢」はまだ本格的に警戒視する論者は少ない。だがAI、生身体ともに優秀なものほど天才よりむしろ夢のほうを厳罰化すべきとの意見は根強い。
いっぽう「天才」はAI、生身体ともにこぞって嫌う。だから「天才」はとてもめずらしい過去の遺産だ。むろん研究者の間ではその存在は疑うべくもないものだが、一般レベルでは天才という概念ごと陰謀論であると断定する論者も少なくない。だからつねに「天才」より「努力」のほうが価値があり、積極的に子どもに体感させるべきものと、「努力」を信望する人間はときに保守的と揶揄された。
だがすでに研究結果は出ているのだ。
ただ単に「天才」というのはとある才能ある生身体の異質な集中によってふだん見えないものが見える、感じられない知覚が感じられるように生身体が「錯覚」し、それが引き金となってスポーツ等の運動成果や芸術学問の分野で著しい独創性を発揮する。それを共有したべつの生身体によって元の生身体は「天才」と呼ばれ、崇められるがつまり「天才」とはその生身体そのものではなく生身体が瞬間引き起こす現象とその確率のことをいうのだ。だから問題視すべきはそれを神秘化して、薬物や信仰のように崇めたてるものだと、その薬物的依存性こそが未来では禁じられている。
アリスもそれは充分に分かっていた。だから、未来でキルトに「夢」を打ち明けられたときに、アリスは過去人を半ば野蛮人のように考える未来人ならではの差別心から「かの暴力的な「天才」とやらをこの目で見て、人々の無意味な熱狂ぶりをじかに浴びてみたいものだな」とべつの「夢」をみていたのだ。
ようするにアリスは「過去」そのものに「夢」をみていて、べつにアイドルになることやステージに立つことなどに関心はなく、むしろ嫌悪していた。キルトがそうしたいと言ったから、それに付き合っていたにすぎない。
しかしその予断のすべてが裏返る、生身体が発する「天才」の危険性を目の当たりにして、たしかにこれは直ちに厳罰化すべきだと悟った。
おなじステージにいながら、桜の花びらのいちまいいちまいが裏返る、その動きの解像度は七十年後の身体カメラの性能を大きく上回る。ここまで見えてしまえばまるで別のものだ。これは桜であって桜ではない。ではいったい、なんなんだ? それはレンの声とその身体のかがやきによって。
その一連の知覚がスローに感じられ、突風のような風を浴びたアリスは、自分のこれは「天才」に感化されたただの「凡才」で、勘違いしてはいけないと分かりきっていた、それなのにまるで千年の夢をいちどきに見るような全能感に満たされる。
これが「天才」だ。具体的には、「死後コレ」のラスサビへと雪崩れ込むブリッジを歌うときにだけ発現するレンの「天才現象」なのだと、アリスのAIにより冷静に計算がくだる。
だけどアリスの「生身体」は。引っ張られる。AIを無化してしまう。これこそがこの時代の「天才」の危険性だって、ようやくアリスにも分かり、怖気だった。
そして抑えられないみずから歌うパートのみにくい「個性」に吐気をこらえながら、ユニゾンするレンの声にかぶせ「さあ行こう」と歌う。
その身体感覚は「幸せ」だった。吐気に苦しみながら、しかしステージを見上げるお客さんの生身体とまるで一体化して、本心から歌うその詞は、歌手にとってはただの記号でしかないはずなのに、ほんとに「さあ行こう」という本気が心の底から無限にあふれる。そこでアリスはこれまでにないほどの吐気に襲われたのに、耳に入るレンの歌声によってこの上なく気持ちよくスッとそれは鎮静化した。
ずっとレンの声を聞いていたい。その声に被せる自分の最良の声を永遠にアリスは探しつづけたい。
自分も「天才」になりたかった。それが「天才」にふれた凡人のありふれた憧れなのだと、わかっていながらアリスは。
つづく
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