『阿蘇ロックフェスティバル2021』:PR

泉谷しげるが語る、今の時代の“ロックフェス”のあり方「説教じみた主張はいらない。阿蘇ロックではお客さんが何より最優先」

2021.9.22

文=天野史彬 写真=山口こすも 編集=森田真規


「天空のロックフェス」の異名を持つ『阿蘇ロックフェスティバル』が、2021年10月23日、24日、熊本県野外劇場アスペクタにて3年ぶりに開催される。

これまで同フェスのオーガナイザーを務め、今回で勇退することが発表されているシンガーソングライターの泉谷しげるは、どのような想いを抱えて『阿蘇ロックフェスティバル2021』に挑もうとしているのか。

「お客さんが何より最優先」という泉谷に、今の時代の“ロックフェス”のあり方について話を聞いた。

自分が築いてきた財産を明け渡すこと

10月23日、24日の2日間にわたり、熊本県野外劇場アスペクタにて開催予定の『阿蘇ロックフェスティバル2021』。2015年の初開催時よりオーガナイザーを務める泉谷しげるは、今年の阿蘇ロックをもってその立場を勇退することが発表されている。

「ある程度フェスが成長して若い奴らだけでやれるようになったら、俺はいつまでも主催者面しているつもりはないって、一緒に発起したメンバーにはずっと言ってたんだよ。阿蘇ロックを泉谷の私物にするわけにはいかないんでね。そもそも俺が立ち上げたといっても、阿蘇ロックを実際にやったのは地元の人たち。地元の女たちが音頭を取って始まったのが阿蘇ロックであって、俺みたいな年寄りがいつまでも偉そうに上にいるのは、いいことではないよな。経験を積んできた人間のやるべきことは、自分が築いてきた財産を見つめることではなく、それを明け渡すことだよ。

本当は去年あたりで『もうそろそろ』っていう感じだったんだけど、いかんせん、コロナでダメになっちゃたからなあ。あのままフェードアウトすることも考えたんだけど、ほかの何かに辞めさせられるっていうのがイヤなんだよな(笑)。辞めるなら、自分の意志で辞めたい。ただ『辞める』と言ったって、今年の阿蘇ロックで、そのためのセレモニーをやりたいわけじゃないんだよ。2日目の最後に『泉谷さん、ありがとう!』なんてさ、そんなつまんねえ演出はやめろってまわりにも言ってるんだ。俺が何をやってきたかなんて、今は特にどうでもいいんだよ。今はみんな、それどころじゃないんだからさ」

新型コロナウイルスが社会的にも大きな影響を及ぼしている現在、大型ロックフェスティバルの開催には賛否が分かれている。この取材は『FUJI ROCK FESTIVAL ’21』が行われたあとの8月後半に実施されたのだが、その時点での泉谷の所感は?

「コロナに関しては、この先、もっと状況が悪くなる可能性もあるからなあ。みんなが同じようにコロナっていう体験をしちゃっているこの時代、さすがにいち個人の主義や思想を貫くような時代ではないよな。『俺はこうやって生きていくんだ!』っていうのももちろんあるけどさ、そんな説教じみた主張なんて、今の時代はもういらないでしょ。誰が聞きたいんだよ、そんなの。

なので、お客さんが不安なのであれば、『止め!』ってちゃんと決断できるようにはしようと思ってますよ。やっぱり、お客さんが何より最優先なんだよ。無理矢理やり切ることもできるけど、お客さんがいろいろ気にしながら参加しなきゃいけなくなっちゃうと、ちょっとねえ……。そんなの楽しくねえだろうなあ。やらないほうがお客さんは安心できるのであれば、そのための決断はちゃんとします。ただ、今年ダメになっても悔しいから、そうなったらまた来年、俺はがんばるよ」

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「女たちが作ったロックフェス」であってほしい

今年5回目の開催となる阿蘇ロック。このフェスの発起人である泉谷は、しかし、このフェスの中心にいるのは何よりも地元の人々であると語る。

「そもそもはロックフェスなんていうつもりもなかった。あくまでも地域活性イベントのつもりだったんだけど、熊本の人たちが『ロックフェスをやりたい』っていうもんだから、それはおもしろいなと。やっぱり、土地の人たちの自発性がなければダメだよ。そうでないと、いくら東京からプロジェクトを地方に持っていって『さあ、これをやりましょう』と言ったってダメ。やっぱり受け入れてくれる土地の人たちが自発的に『やりたい!』ということをやらないと。

特に阿蘇ロックはそういうことを言い出したのが女たちだったんで、『女たちのロックフェスっつうのはおもしろいな、やれ!』って、それで始まったの。俺はあくまでもスポークスマンに過ぎないんだ。普通ロックフェスというと若い奴らがイエーイって騒ぐもんだけど、熊本の田舎にそればっかりではしょうがないだろう(笑)? そこで爺ちゃん婆ちゃんでも知っているようなテレビタレントやアイドルを呼んで、どうやってテレビで宣伝してくかっていうことを考えた。やっぱり、カッコつけてロックを掲げていれば成功するっていうもんではないから。そのために、俺が後押しをしてやるっていうことですよ。けっして、俺の主義主張を押しつけようとは思ってないんです」

泉谷が発言の中で繰り返す「女たちのフェス」という言葉。この言葉の裏には、オムツ換え・授乳用のスペース設置や、無料で遊べるキッズエリアを用意するといったアイデアを出し、実現させてきた地元の女性スタッフたちの存在があるという。

そもそも2014年の阿蘇山・中岳噴火と、それによる火山灰などでの風評被害を払拭すること、そして地域活性化を目的として始まった阿蘇ロック。初開催の翌年には熊本地震が発生するなど、同フェスはここ数年の熊本や近隣地域の歴史と共に歩んできた。しかし泉谷には、だからこその複雑な思いもあるようだ。

「最初は熊本地域の火山灰の風評被害をなんとかしていきたいっていうことはオフテーマとしてあったし、それは未だにあるんだけど、ただ2016年の熊本地震があったときに“熊本地震救済”というテーマを掲げようとしたときには強引にやめさせた。みんな、そりゃあ気持ちはそうだよ。だけどそれを冠にしてしまうと、みんなが募金しなくちゃいけないっていう気持ちになっちゃうじゃない。参加費を払って、さらに募金までしなきゃいけないって、楽しめないだろう?

もちろん、気持ちは被災地に向いてるよ。でも、それは個人個人でやればいいことだから。やっぱり、ロックフェスなら音楽に集中させる努力が必要なんだよな。参加者につまらない負担をかけないような努力。別のところで救済活動はやっているわけだからさ……コソコソとだけど(笑)。阿蘇ロックは、あくまでも『女たちが作ったロックフェス』であってほしいんだよ。そこは一切、曲げない。俺が辞めたあとは、どうしようと知ったこっちゃないけどね」

考え方が変化したチャリティ活動

そもそも、泉谷しげるはとても多面的なアーティストだ。1975年に小室等、井上陽水、吉田拓郎と「フォーライフ・レコード」を設立するなど、日本の音楽史に残る活動をしてきたシンガーソングライターとしてはもちろん、俳優やタレント業でも長きにわたり活躍している。そんな彼のキャリアの中で大きく語られるひとつの側面として、義援活動がある。

1993年には北海道南西沖地震の被災者支援のために都内で「ひとりフォークゲリラ」キャンペーンを開催し、募金活動を行った。翌94年には長崎・普賢岳噴火災害救済チャリティーコンサートを開催、95年の阪神淡路大震災の際にも再び日本各地で「フォークゲリラ」を敢行。その後も、宮崎県口蹄疫被害の復興ライブや東日本大震災の被災地支援募金活動などに参加してきている。しかし泉谷の義援活動に向き合うスタンスは、経験を重ねることで年々変化してきたようだ。

「奥尻のときも、阪神淡路大震災のときも、まずはレコード会社に迷惑がかからないようにって、会社を辞めてから始めた。当初は募金集めがメインだったんだけど、今だったら、やるのは募金集めじゃねえな。募金をしたことで生まれる『いいことをした』っていう自己満足の感覚よりも、募金をしなかったことで差別感が生まれてしまうことのほうが今は怖い。だってさ、募金をさせるっていうことは、『その場所がヤバい(被災地)場所だ』って認定してしまうことじゃない?

だから、途中から方向性を変えたんだよ、『勝手に現地に行ってくれ。お前たちが観光してお金を落としてこい』って。そっちのほうがダイレクトだよな。イベントを作ったり、観光の目玉を作ったほうがよっぽどいいよ。別に、今までのことがすべて失敗だったとは思わないんだけど、よくよく考えると募金って“上品な差別”を生んでいるようなもんなんだよな。“恵む側”と“恵まれる側”っていうさ。『募金をもらった側は派手な生活をしてはいけない』なんて言い出す奴もいるけど、『それってどうなの?』っていう感じしない? 『ずっと被災者面してろ』っていうのかよ。被災者は被害を忘れたいんだから、遊ばせろっつうんだよ」

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