ぺこぱが背負わされた“重い重い十字架”と、それでも止まらない進化の理由
2020年はぺこぱ大躍進の年だった。
前年の『M-1グランプリ』で3位となり、「ノリツッコまないボケ」と評された独自のスタイルで一躍全国区に。
メディア露出が一気に増え、これからというタイミングでコロナ禍に突入してしまったものの、ふたりの勢いは衰えることなくつづき、「2020テレビ番組出演本数ランキング」(ニホンモニター発表)において見事「2020ブレイクタレント」部門のトップに輝いた。
このランキングは1年間で増えた出演番組の数で決まるもので、前年の12本から309本へと激増したぺこぱが、フワちゃんや3時のヒロイン、M-1王者ミルクボーイなどを抑えて1位に選出されている。
そして、第1弾が5万部を突破した日めくりカレンダーの第2弾『毎日ぺこぱ2 どんな1日も元気に過ごせる31のメッセージ』(大和書房)が発売されるなど、多方面で人気絶頂のぺこぱ。
ぺこぱがテレビで大活躍した理由
現在のテレビがネタ番組よりもバラエティ中心であることを考えると、ぺこぱが漫才だけで躍進したわけではないことがわかる。
ブレイク直後こそ「時を戻そう」や「悪くないだろう」、シュウペイポーズといったM-1の舞台で披露したネタを振られる機会が多かったが、次第に松陰寺の機転やコメント力、シュウペイの度胸や明るさなど、いわゆる“平場”における実力が評価されるようになっていった。
また、霜降り明星やEXIT、四千頭身やぼる塾などを中心とする「お笑い第七世代」の存在感が高まったことや(年齢が少し上のぺこぱをここに含むか否かは諸説あるが)、「誰も傷つけない笑い」と評された“全肯定”スタイルがポリティカル・コレクトネスを重んじる時代の空気とマッチした部分も大きかったように思う。
ぺこぱの大躍進は、実力、運、キャラクター、タイミングなど、さまざまなものが相まって花開いたものではないかと私は考えている。
背負わされた十字架の重みを感じるような漫才
しかし、これは独自のスタイルを持つ芸人の宿命ともいえるが、お笑いが「予測誤差(=「こう来るだろう」という予測に対するズレや裏切り)」を基調とするものである以上、見る者が慣れてしまうこと、飽きてしまうことをどう乗り越えていくかがぺこぱにとっても大きな課題となった。
それを象徴していたのが、2020年の『M-1グランプリ』予選。優勝候補の一角に挙げられるも残念ながら準決勝で敗退。さらに決勝当日に行われた敗者復活戦でも敗退し、ファイナリストに名を連ねることはできなかった。
敗因を容易に断定することはできない。多忙を極めるなかでネタ作りやブラッシュアップに時間をかけられなかったこともその一因ではないかと個人的には感じているが、スタイルが知れ渡っているなかで前年を超えるインパクトを残せなかったことも、また事実だろう。敗者復活戦で披露した漫才は、ぺこぱが構造的に背負わざるを得なかった十字架の重みを感じるようなものだった。
ネタの冒頭、シュウペイが「松陰寺さんってさ、“否定しないツッコミ”ですごくいいって言われてるじゃん」「不安なときとかさ、松陰寺さんが心の中にいたらすごく楽になるなと思って」と話を振る。
そこから松陰寺が心の声となってひたすら励ましの言葉を発していく展開になるのだが、遅刻、不倫、横領、銀行強盗……と徐々にエスカレートしていくシュウペイをどこまで肯定できるか、どのように励ませるかがひとつの見どころとなっていた。そして漫才は次第に、戸惑う松陰寺に励ましの言葉をせがむ“全肯定のムチャ振り”とも言うべき様相を呈していく。
たとえば、松陰寺は会社のお金を盗んだというシュウペイを「いや、金を盗まなきゃいけないくらい少ない給料を与えていた会社が悪い、そうだろう?」と励ます。しかし、予定調和をロジカルに乗り越えていこうとする態度や弱い立場の人を慮るエンパシー的想像力など、全体的に“ぺこぱらしさ”は散見されたものの、どこか方程式に則って無理やり肯定のロジックを捻り出しているようにも映り、前年の決勝戦で見られたような笑いのうねりを起こすことはできなかった。
「期待に応えたい」と「予測を裏切りたい」の狭間で
5万部を突破した日めくりカレンダー『日めくり 毎日ぺこぱ あなたを包み込む、否定しない31のメッセージ』(大和書房)の「はじめに」には、松陰寺によるこのような言葉が掲載されている。
松陰寺太勇のツッコミが
『『日めくり 毎日ぺこぱ あなたを包み込む、否定しない31のメッセージ』(大和書房)
どうやって生まれたのかをよく聞かれる。
はじめはフォれも厳しいツッコミをしていた。
でもそのたびにファい方のシュウペイが悲しい顔をする。
一方的に決めつけるのって正しいのか……
本当は自分のほうが間違っているんじゃないのか……
フォれ自身、ずっと違和感があったんだ。
決めつけたり、誰かのせいにしたりするのはラクだ。
でも相手を疑うより、自分を疑う。
「こうあるべきだ」って、もうそういう時代じゃないと思ってる。
手の内がバレてしまうことはお笑い芸人にとって困難な課題のはずだし、「期待に応えたい」と「予測を裏切りたい」の狭間で思い悩むであろうことも想像に難くない。
とりわけ、ぺこぱの場合は「誰も傷つけない笑い」と評価され、どうしてもポジティブなものを期待されてしまうため、裏切りの方向性にもある種の制限がかかってくる。
そういう構造の中で笑いを起こしていくことの難しさは想像を絶するものがあるが、常に自己省察を忘れず、「こうあるべきだ」を乗り越えようとしていく姿勢がぺこぱの魅力のひとつだ。
確かに2020年のM-1は残念な結果に終わった。しかし、2021年の正月特番で披露していた漫才には早くも進化が見られた。
たとえば1月4日に放送した『NETA FESTIVAL JAPAN(ネタフェス)』(日本テレビ)では「街でファンの方に声をかけられたときの練習」というネタを披露したのだが、私はそこに「期待に応えつつ予測を裏切っていく」というすごみを感じた。
「なんでもかんでも肯定すると思うな!」
それはこのような漫才だった。シュウペイが演じるファンは、松陰寺の存在に気づきながらなかなか声をかけない。それに業を煮やし、「いやチラチラ見てんじゃねえよ……って言ってる時点で俺もチラチラ見てる」と松陰寺は自分にツッコミを入れる。また、決めゼリフをねだられた際、なかなかファンを満足させられなかった自分に「いやそもそも俺に決めゼリフなんてなかったんだ!」と疑問の目を向ける。
ふたりの漫才はそこからさらに展開していき、デタラメなことをしゃべるシュウペイに対し、今度はストレートに「言うわけねえだろ!」とツッコミを入れる。
そして「なんでもかんでも肯定すると思うな!」と言い放ち、最終的に「俺はな、絶対に人を傷つけない、優しい漫才がなんちゃらっていう、重い重い十字架背負ってんだぞ!」と叫ぶ。
ここの流れがとにかく圧巻で、会場でも大きな笑いが起こっていた。それは、これらのセリフ自体が予測誤差として機能していたからなわけだが、前提となる“予測”のところ、つまり「観客は自分たちのことをこう見ているだろう」というイメージの部分に進化を感じた。
2020年のM-1予選で見せた漫才は「ぺこぱ=否定しないツッコミで評価されている人」が前提になっていたが、ここではそれが「ぺこぱ=優しい漫才という十字架に苦しんでいる人」にアップデートされていた。
観客は単に否定しないツッコミを期待しているわけではなく、もはやそのイメージによって自分たちが苦しめられていることもわかっている。ならばそれを前提に、ボケとツッコミを組み立てていけばいい──と、ふたりがそう考えていたかどうかはわからないが、構造としてはそうなっていた。
この「観客の目線と自己イメージのチューニング」こそ進化の核心であり、それはおそらく、自分と真摯に向き合いつづけているからできることだ。
「自分たちが残したいもの」と「自分たちを応援してくれている人の助けになりたい」が重なる部分で、ぺこぱを表現していきたい。
『毎日ぺこぱ2 どんな1日も元気に過ごせる31のメッセージ』(大和書房)
3月に発売された『毎日ぺこぱ2 どんな1日も元気に過ごせる31のメッセージ』の「はじめに」で、松陰寺はこのようなことを述べている。
自分と相手が、そして自分たちと社会が重なり合う部分を大事にしていることこそ、ぺこぱの進化が止まらない理由ではないかと思うのだ。
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『毎日ぺこぱ2~どんな1日も元気に過ごせる31のメッセージ~』
ぺこぱ 著
発行:大和書房
定価:1,320円(税込)
発売年月日:2021年3月26日
ページ数:34ページ
判型:A5変形判関連リンク