過去の作品を現在の意識で断罪する読み方は貧しい。「正しさ」に疲れたら、絶品ダメ人間小説で笑え(書評家・豊崎由美)

2022.9.6
豊崎由美サムネ

文=豊崎由美 編集=アライユキコ


海外文学ファンの間ではカルト的傑作として翻訳が待ち望まれていたジョン・ケネディ・トゥールの絶品ダメ人間小説、『愚か者同盟』がこの夏、ついに翻訳刊行! 書評家・豊崎由美が「正しい意見」に疲れた人たちに熱烈推薦。


「正しい意見」に疲れてしまう

いきなり自分の話から始めるのは恐縮なのですが、わたしには『まるでダメ男じゃん!』(筑摩書房)という著書があります。フローベールの『ボヴァリー夫人』やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、夏目漱石の『坊っちゃん』、中上健次の『岬』、スティーブン・キングの『シャイニング』、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』、西村賢太の『どうで死ぬ身の一踊り』などの23作品を、そこに登場するダメ人間を通して紹介した本です。

『まるでダメ男じゃん!』豊崎由美/筑摩書房
『まるでダメ男じゃん!』豊崎由美/筑摩書房


どうしてそんなコンセプトで100年ちょっとを視野に入れた名作を読み解こうと思ったかというと、もともと小説や映画や演劇やドラマに奇人変人やダメ人間や正しくない人が出てくるとホッとする質(たち)なのです。最近はますますその傾向が強くなっています。

わたしも含めてなのですが、今、SNS上では多くの人が差別や不正に対して「正しい意見」を大きな声で語っています。それは正しい声なのですから、なんら非難されるべきことではありませんし、あらゆる人が生きやすい世界を作るために必要な声です。にもかかわらず、わたしは時々疲れてしまうんです、正しい人たちに、正しい声を上げようとする自分に。

カルト的傑作がついに!

そんな時、小説や映画や演劇やドラマで「こいつ、どうしようもねえな(苦笑)」というキャラクターに出会うとちょっとホッとしてしまう。そういう人間が存在を許されている世界に安心する自分がいるんです。で、そんなわたしと同じような疲れを覚えている方々におすすめしたい絶品ダメ人間小説が、ジョン・ケネディ・トゥールの『愚か者同盟』(国書刊行会)。

これ、アメリカの著名な文学賞のひとつピュリツァー賞を受賞していて、数々の傑作リストの上位にも挙がってくるコミックノベルの名作と讃えられているにもかかわらず、なぜか日本では長らく訳されなかった、海外文学ファンにとっての「いつ訳されるんだろう」案件本のひとつだったんです。本国での出版の経緯も曰くつきで、そのあたりの事情は訳者の木原善彦さんによる「あとがき」に詳しいのですが、1960年代にこの小説を完成させたものの、持ちこんだすべての出版社から刊行を断られ失望した作者は旅に出て、1969年、その途上で自死しているんです。本作が日の目を見たのは1980年。翌年にはピュリツァー賞を受賞し、2014年の時点で24を超える言語に訳され、200万部以上が売れているという次第。

『愚か者同盟』ジョン・ケネディ・トゥール/木原善彦 訳/国書刊行会
『愚か者同盟』ジョン・ケネディ・トゥール/木原善彦 訳/国書刊行会

そんな、日本の海外文学ファンの間ではカルト的傑作として翻訳が鶴首されていた作品がついに出たんですから、読まないでいられるはずがありません。で、読みました。で、気持ちいいくらい笑っちゃったんでありました。
 

変人やダメ人間だらけの『愚か者同盟』

主人公は1960年代のアメリカのニューオリンズで母親と暮らしているイグネイシャス・J・ライリー。
〈肉付きのいい風船のような頭が緑のハンティング帽を無理矢理かぶっていた。大きな耳、ボサボサの髪、そして耳そのものから生えた剛毛に押された緑の耳当ては、右と左に同時に出された方向指示器のようだった。ぽってりとした唇は黒く濃い口髭の下で丸く突き出て、両端の小さなしわには不満げな態度とポテトチップのかけらが詰まっていた。〉

登場人物のひとりから〈体が超でかい変態です〉と言われてしまうようなイケてない外見。周囲の人々を見下す傲慢な態度。大学院まで出たにもかかわらず30歳になっても無職。中世思想マニアで〈運命の車輪(ロータ・フォルトゥナエ)〉を信じており、自分が起こしてしまったあれこれをその運命の車輪が上向きか下向きかに起因を求めることで、一切の責任を放棄。口だけは達者で、母親や周囲の人間を嘘と詭弁で言いくるめようとしがち。発表のあてもない戯言めいた論文を、子供向けのレポート用紙に書き散らすのが生きがい。出演者や内容を罵倒するためだけに、わざわざ低俗なテレビ番組を視聴。毎晩のように通っている映画館でも上映中に大声で俳優を罵倒するので、要注意人物扱い。幽門の調子が悪くてゲップを多発。にもかかわらず、ジャンクフードや「ドクター・ナット」というドリンクを暴飲暴食。

そんな“大きな問題児”が引きこもっていた家から外の世界に出ることによって、母親にとどまらず、大勢の人に迷惑をかけまくることになるんです。外に出るきっかけは、母親が起こした自動車事故。建物に与えた被害の補償で1020ドルの借金を抱えたため、いやいや働くことになるわけです。
ようやく職を得たのは、二代目社長にまるでやる気がないせいで潰れかけのアパレル会社「リーヴィ・パンツ社」。事務長のゴンザレスの下、ファイル整理の仕事に就くのですが、イグネイシャスがしたことは整理ではなく廃棄。取引先に出すはずの謝罪の手紙を、勝手に攻撃的な内容のものに書き換えて投函。挙げ句、工場で働く黒人労働者を扇動して暴動騒ぎを起こし、当然のことながらクビになってしまいます。

次に拾ってくれたのは「パラダイス街頭販売者」。ここで屋台をまかされるものの、イグネイシャスは売り物のホットドッグを自分でムシャムシャ食べて、〈巨大な地下組織に属する若者に襲撃されました〉と嘘をつき、「でたらめだろ」と見透かされれば、〈でたらめ? この事件は社会学的にも根拠がある。責められるべきは私たちの社会です。刺激的なテレビ番組とか好色な雑誌で頭がおかしくなった青年たちが、因習に染まった若い女性と付き合って、やがて自分の頭の中で妄想していたセックスに引き込もうとして拒絶される。そうして成就することのなかった肉体的な願望が食べ物の領域に昇華される。僕は残念なことにその犠牲となった。この青年が性のはけ口を食料に求めたことについて、私たちは神に感謝すべきでしょうね。そうでなければ、あの場で僕がレイプされていたかもしれない〉と、屁理屈をとうとうと述べ立てる。
そんな頭の良さの使い道をまるっきり間違えてることに気づけないばかりか、母親や他人に迷惑をかけまくりながら一切反省することなく、次から次へと好き勝手放題問題を起こし続けるこのトリックスターの行状という本筋に、個性的な変人やダメ人間のエピソードが絶妙に絡んでいく物語になっているんです。

上司の巡査部長から〈バレエ用のタイツに黄色いセーター〉みたいなヘンテコな変装をした上で〈怪しい変人を逮捕連行すること〉を命じられるマンクーソ巡査。リーヴィ・パンツ社で50年間も働きながら、実情はといえば、たまに会計元帳を不正確に書き写すことしかしていない80代のトリクシー女史。ふたりの娘をだしにして、やる気のない二代目社長の夫を脅したり責めたりしながら自分のわがままを通してきたリーヴィ夫人。なにやら怪しい副業にも手を出しているラナ・リーが経営しているストリップクラブ兼バーの「喜びの夜」で二束三文で働かされ、〈やば!〉が口癖になっている黒人青年のパーマ・ジョーンズ。「喜びの夜」のショーにかけるために、飼っているインコと共演するストリップ劇を作ろうとしている若い女性ダーリーン。裕福なゲイで、地元のパリピに顔が利くドリアン・グリーン。グリーンが所有するアパートメントの2階に用心棒として住まわせてもらっている気性の荒いレズビアントリオ。イグネイシャスの大学時代の恋人で、今はニューヨークで過激かつ奇矯な政治的活動に従事しているマーナ・ミンコフ。
イグネイシャスは、こうした癖が強すぎる愚か者軍団を巻き込んだり、巻き込まれたりしながら、リーヴィ・パンツ社で捏造した攻撃的な手紙がもとで起きる事件という大団円に向かって、よたよたのらりくらりと己の勝手な判断にまかせて責任を回避しつつ、たくさんの騒動を起こしていくんです。

多くの「正しさ」は時代の落とし子

1960年代に書かれたコミックノベルなので、人種やジェンダーに関して、2022年の目から見れば「正しくない」言動も描かれています。でもね、今「正しい」とされている言説だって、50年後にはどうかわからないじゃないですか。多くの「正しさ」は時代の落とし子です。過去の作品を現在の意識で断罪する読み方は貧しい。わたしはそう考えます。
ダメェ~な人たちが、正しくない言動で押しくらまんじゅうしているさまで幾度も笑わせてくれるこの小説が、わたしは好きです。ラスト、イグネイシャスはニューヨークへと向かうことになるのですが、この大きな問題児は摩天楼の大都市でもトリックスターぶりをいかんなく発揮したはず。『愚か者同盟』が作者ジョン・ケネディ・トゥールが生きている時に出版されていたら、その物語も読めたのではないか。そう思うと、読後、悔しい気持ちが募る、わたしにとっての「ようやく読めた幻の傑作」なのです。慢性的な「正しさ」に疲れている方に熱烈推薦いたします。


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