今こそ評価されるべき、“ぐっさん”こと山口智充の生き方(ラリー遠田)

2020.5.5

文=ラリー遠田 編集=鈴木 梢


これまでタレントの価値といえば、レギュラー番組の本数や視聴率で判断されることが当然だった。しかし今や時代の倫理観や価値観も変わり、タレントの価値もテレビの中だけのものではなくなってきた。お笑い評論家のラリー遠田が今注目するのは、“ぐっさん”こと山口智充の生き方だ。

未だに使い古された物差しで測られるタレントの価値

ナインティナインの岡村隆史がラジオでの失言によりボロクソに叩かれまくっているところを眺めていて、なんとも言えない気持ちになった。事の是非についてはこの際何も言うまい。岡村の発言には明らかに問題があった。謝罪や反省をするのは当然だし、ある程度の批判を受けるのは仕方のないことだろう。

岡村の舌禍事件の根底にあるのは、古くから芸能界にどっぷり浸かっている中年タレントが、新しい時代の倫理観や価値観についていけないという構図である。今、社会の常識は大きく変わりつつある。そして、どちらかと言うと旧世代的な価値観を引きずってきたテレビや芸能の世界でも、そろそろ考え方やモノの見方をアップデートしなくてはいけなくなっている。

たとえば、今も昔も、タレントの価値はテレビのレギュラー番組の本数や視聴率、CM出演本数などの数字で判断される。視聴率が取れるタレントや好感度の高いタレントこそが、絶対的な強者であると見なされる。

ドラマでもバラエティでも、視聴率が悪いと主演俳優やメインMCが責任を問われ、スポーツ紙やネットメディアでは彼らに対する激しいバッシング記事が飛び交う。ディレクターやプロデューサーなどの制作者が名前を出されて非難されることはほとんどない。

実際のところ、タレントをレギュラー番組の本数や視聴率だけで判断するのは今や時代遅れになりつつあるのではないか。かつては番組の善し悪しを判断する基準が少なかったため、視聴率だけに頼らざるを得ない部分があった。だが、今では複数の尺度があり、単なる数字だけでは番組の本当の価値を判断できなくなっている。

レギュラー番組の本数でタレントの価値を判断するというのも、今の時代にはそぐわない。にもかかわらず、未だにその手のことを書く安易なネット記事などが量産されている。

今注目される、山口智充というタレントの本質

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ラリー遠田

(らりー・とおだ)1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わ..

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