第165回直木賞全候補作徹底討論&受賞予想。両者激賞『テスカトリポカ』、激論『スモールワールズ』からの直木賞選考の器問題

2021.7.14
直木賞サムネ

7月14日、第165回直木賞が発表される。浅田次郎、伊集院静、角田光代、北方謙三、桐野夏生、高村薫、林真理子、三浦しをん、宮部みゆきの9名の選考委員による本家選考会にさきがけ、書評家・杉江松恋と文学を愛するドイツ人、マライ・メントラインが全候補作を読んで徹底討論、受賞作を予想する。

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■第165回直木賞候補作
一穂ミチ『スモールワールズ』/講談社 初
呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』/文藝春秋 2回目
佐藤究『テスカトリポカ』/KADOKAWA 初
澤田瞳子『星落ちて、なお』/文藝春秋 5回目
砂原浩太朗『高瀬庄左衛門御留書』/講談社 初


激論『スモールワールズ』現状肯定感をどう評価するか

杉江松恋(以下、杉江) では直木賞も作者五十音順で行きたいと思いますが、同じようにイチオシと受賞予想をお願いします。私はイチオシも受賞も『テスカトリポカ』です。

マライ・メントライン(以下、マライ) ものすごく悩んでます。イチオシも受賞も『テスカトリポカ』『スモールワールズ』互角ですね。

杉江 おお。ちょうどいいので、『スモールワールズ』から行きましょう。

『スモールワールズ』一穂ミチ/講談社
『スモールワールズ』一穂ミチ/講談社

『スモールワールズ』あらすじ
相原美和は夫のスマホを使ってひそかに浮気状況を監視しつづけている。そんな彼女がある日出逢ったのは、姪の級友だという少年だった。親から虐待を受けている彼と美和は心を通わせる(「ネオンテトラ」)。不全感を抱えながら今を生きる人々を描いた6つの物語。

マライ 新旧「読書文化」の激突を感じるのです。『スモールワールズ』これ、好き嫌いが猛烈に分かれる予感がします。そして「新しい」感触。古参の小説読みで、これを嫌う方がけっこう居そうな気がするんですよ。

杉江 『スモールワールズ』が「新しい」ですか? 実は、私はそういう印象があまりないんです。ちょっとお話を聞かせてください。

マライ 各話テーマは、犯罪遺族と加害者の関係、特に遺族側のどろどろした葛藤、性同一性障害、中年の危機、体育会系イジメなど。箇条書きにすると「まあそういうのもあるよね」という感じだけど、なんというかYahoo!ヘッドラインを流し読みして、コラムを適当に読んで、というネット的日常で蓄積してゆく知識の感触と妙にシンクロしている印象があります。また全体を通して、暴力、特に精神的な暴力性が各話の展開を進める燃料になっているように感じます。表面からは見えない暴力性でコミュニケーションが成立していたりとか。そしてその果てに手品のように「愛っぽいもの」が出現したりするのですが、これに真理性を感じるか欺瞞性を感じるかで、深く好き嫌いが分かれる気がします。

杉江 しかし、そこに呈示された小説の部品そのものは必ずしも新しくはないですね。こういう言い方は失礼かもしれませんが、過去に幾度も使われたものかと思います。

杉江松恋
杉江「こういう言い方は失礼かもしれませんが、過去に幾度も使われたものかと思います」

マライ 私は旧来的な読書人である一方、ネット民的な部分も多分にあるので、感じるんですよ、『スモールワールズ』の魅力面を。「ついにネット民的な皮膚感覚をリアルに汲み取った内容で、心理面や危機感覚をちゃんと小説に書いてくれる才人が登場してくれた!」という。

杉江 なるほど。皮膚感覚ということですか。

マライ それは目に見えない潜在的なニーズとして、ここしばらく読書空間に燻っていたように思うのです。ネット上の文芸賞やイベントも、実際には旧来型の読書人の価値観でコントロールされることが多いですからね。そうではないものを、というニーズが呪いに近いレベルに高まっていたっぽい感触はある。ただ私も断言できないのは、たとえば本作がネット民的な読者のニーズに応えたとして、その結果何かプラス方面に昇華したのか、あるいは呪いが明確化して濃度を増しただけなのか、という点です。それは今後の読書文化に少なからず影響するような気がします。だからオビにある「全国の書店員さん共感度5つ星!」っていうアピールにはすごく考えさせられるんですよ。たとえば本屋大賞が、伝統的な文芸賞への叛旗を真に翻すコアとするのに最適な作品なのかもしれないと。

杉江 ヘッドラインで処理される情報のありようと、暴力を負の意味での物語の推進力とすること、愛ですべてを救うというメンタリティ。これらを体現した小説というのは非常に納得します。それらを切り捨てることなく、世の中に存在するものとして受け入れてくれる物語を求める声は潜在的にずっとあったでしょう。そうした声に応える作家のラスボスが来た感はありますね。

マライ この小説で語られる愛って、旧世代から見ると欺瞞以外の何物でもないように感じられると思うのです。ゆえに本書は読者にストレス発散をさせるのではなく、蟲毒みたくストレス濃縮を指向しているようにさえ感じさせます。

マライ・メントライン
マライ「旧世代から見ると欺瞞以外の何物でもないように感じられると思うのです」

杉江 問題提起をし過ぎる小説の鼻につく感じは皆無でした。こういうものがあるのが現代です、というふうに状況を切り取った小説ですよね。そこに共感を覚える読者は確かに多いでしょう。

マライ そうそう。共感を覚えて現状に納得する、というゴールのありようは是非を問われることになるでしょうね。小説としては、その現状肯定感をどう評価するか。ただ、創作物が状況をディスり過ぎるのは中長期的に見て市場を敵に回すことにもなり、損だとも思いますので、慎重さを要するかと。

杉江 私がさっき「新しい」というところに首を傾げた理由は、主として部品とか技巧の面なんです。ここで使われている短篇技法って、ミステリーで言えば新津きよみのような書き手がずっとやってきたものの中にほぼ全部入っています。プロットもこうなるだろうなという想定から外れない。そのぶん基本に忠実なお話で手堅くはあります。「花うた」(収録作)のように某有名作をどうしても思い出してしまうような趣向の作品もある。これは前例を気にするタイプの作家には書けない短篇ですよね。だから一穂さんは、これまでの大衆小説、特にミステリーの流れなどはまったく意識していないんだろうな、と思います。だけど、どうしても既視感を覚えてしまう。それを旧い読者だからだ、と言われても仕方はないわけですが。

マライ たぶん、しばらくしたら「定石どおり」の意味合いや定義も変わってきちゃうんですよ。

杉江 読者が入れ替わっていけばそうなるでしょうね。

マライ 今杉江さんがおっしゃったようなことは、たとえばソシャゲに馴染んだ読者にとっては粗として認識されず、ノープロブレムではないかと思うのです。なので、これを推すというのは、脳の「別半球」的な部分がなせるわざであるように感じます。

杉江 どうしても私は、この作品はどんな新しい部品や技巧を小説に付け加えてくれるか、という点を求めがちです。あえて言うならば「新しいものが何もないのが新しい」という感想で、自分は読者として対象外なのだという気はします。直木賞は技巧よりも時代に合った作風であるかといった入れ物を評価する賞でもあるので、本作が受賞する目もありそうな気がしますね。収録作のうち「ピクニック」は日本推理作家協会賞の候補になって落ちたんですが、それはジャンル小説としての評価ですから。ジャンル小説を対象にした賞は技巧を審査しなくては意味がないですが、直木賞はそうではなくて、小説として一般読者をいっぱい連れてきてくれる力があるか、というところがポイントでしょうしね。

マライ だから最初に言ったように、私の中では『テスカトリポカ』との激突なんです。『テスカトリポカ』がいいと言う人は『スモールワールズ』を推さない可能性があるでしょうし。

マライ・メントライン
マライ「私の中では『テスカトリポカ』との激突なんです」

杉江 なるほど。というわけで話の流れとしては『テスカトリポカ』なんですが、その間に『おれたちの歌をうたえ』に行ってもいいでしょうか。

逆転の技巧が効果的な『おれたちの歌をうたえ』世界レベルの傑作『テスカトリポカ』


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杉江松恋

(すぎえ・まつこい)ライター、書評家。『週刊新潮』などのほか、WEB媒体でも書評連載多数。落語・講談・浪曲などの演芸にも強い関心がある。主要な著書に、『読みだしたら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』『路地裏の迷宮踏査』、体験をもとに書いたルポ『ある日うっかりPTA』など。演芸関係では..

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