眠れぬ夜にそっと寄り添う魔法の言葉が記された歌集『たやすみなさい』

2020.1.15
書籍『たやすみなさい』

文=僕のマリ


「そんな些細なことで」と人からよく言われて恥ずかしかったという物書きの僕のマリさんは、「些細なこと」を掬い上げた岡野大嗣による歌集『たやすみなさい』を読んで自分の感性を大切にしたいと思えるようになったという。取りこぼしてしまいそうな日常の瞬間が詰まったこの本は、感じやすい人の眠れぬ夜にそっと寄り添ってくれる一冊になるはずだ。

些細なことを掬い上げてそれを

日記を書くのが好きだ。食べたもの、行った場所、言った言葉、思ったこと。文章にして整えて、記憶を記録しておく。「ブログ」というていでインターネットの海に泳がせるが、その行為は誰のためでもなく、自分のための慰みだ。

見てほしい気持ちと見られたくない気持ちが常に拮抗している。文章を書いて不特定多数の人に公開するということは、「自分はこういう人間です」と言っているようなものだから。わたしは、うそがつけない。思ったこと、感じたことをありのままに書いてしまう。うれしかったことも、悲しかったことも、怒っていることも全部。マイナスの感情も包み隠さず吐露しているので、「陰気な人間」「怒りっぽい」と思う人も多いだろう。書いたことで自分自身が損をしていることもあると思う。でも、そうやって気持ちに折り合いをつけないと、自分を保てない。わかりたい、わからない、わかってほしい、わかりあえない。そんなさみしさにのまれそうになったとき、一体なにに縋ればいいのだろう。

岡野大嗣著『たやすみなさい』を手に取る。「サイダーのコップに耳をあててきくサイダーのすずしい断末魔」「さよならを言うためだけに乗ってきたバスの背中がうつくしかった」「銭湯のにおいがすると幸せでそういう香水はありますか」銀河のような装丁に一目惚れして買った歌集の言葉たちが、まさに星のように瞬いている。静かに流れる感性の爆発。つい取りこぼしてしまいそうな日常の瞬間がじんわりと沁みて、心が豊かになるのを感じた。読み終えたあとには、ふと目の前の位相が変わるような、不思議な余韻が残る。これが歌集の効能だろうか。タイトルである『たやすみなさい』は、「自分のためのおやすみで『たやすく眠れますように』」という意味だという。眠れぬ夜にそっと寄り添う魔法の言葉だ。

大人になっても、情緒がめちゃくちゃなのが苦痛だった。感じやすいのがつらかった。「そんな些細なことで」と言われるたび、自分だけなのか、と恥ずかしくなる。しかし、「些細なこと」を掬い上げた作品が自分のお守りになったとき、いつまでもこの感性を大切にしたいと思えるようになった。

だからわたしは今日も日記を書く。素直にまっすぐに書く。見聞きしたものすべて、取りこぼさないように。これからもずっと、丁寧に生活を紡いでいこうと思う。わたしの放った言葉が、誰かのお守りになりうることを祈って。掬いたい、巣喰いたい、救いたい。本気で言っている。



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