悪口を言うのは楽しい。だからこそ気をつけよう。(ラリー遠田)

2020.6.2


「楽しみ過ぎる」「楽しみ間違える」という罪

『テラスハウス』を見て木村さんに罵詈雑言を浴びせていた人たちは、間違いなく倫理的に許されない行為に及んでいた。だが、『テラスハウス』という番組を誰よりも楽しんでいたのは、そういうタイプの人たちであるかもしれないのだ。

もちろん「人を悪く言ってはいけない」という一般的な道徳律に反したこと自体は非難されるべきだが、当の本人たちには彼女を死に追いやった自覚はないはずだ。

甲子園の外野席からエラーをした阪神の選手に対して「コラ、そんなんも捕られへんのやったら辞めてまえ!」と野次を飛ばす虎柄のハッピを着たおじさんも、その選手がショックを受けて自ら命を絶つかもしれないなどとは微塵も思っていないに違いない。

そもそも『テラスハウス』のようなリアリティショーは、番組内で起こる出来事を観察しながら、好き勝手にあれこれ考えたり感想を言い合ったりすることがその楽しみ方のうちに含まれている。

そこで出演者の全員に対して一切の悪意のある考えを持ってはいけない、などというルールはないし、そんなことは制作者も望んではいないだろう。リアリティショーは本来そうやって悪意ありきで楽しむものだし、楽しんでいいものなのだ。

はっきり言ってしまえば、テレビ番組や映画などの特定の作品に関して、登場人物である誰かのことを悪く言ったり、その悪口で意気投合して盛り上がったりするのは、たまらなく楽しい娯楽なのだ。それ自体は決して悪いことではない。

ただ、リアリティショーの場合には、フィクションと違って、その悪意が向けられる相手が生身の人間であるというところにリスクがある。そうやってエンタテインメントを本気で楽しんでいる人のごく一部は、SNSを通じて出演者に直接罵詈雑言をぶつけるという暴挙に出てしまうことがある。いわば、これは道徳的な罪であると同時に、「楽しみ過ぎる」「楽しみ間違える」という罪でもあるのだ。

そのような過ちを犯す人は、視聴者の中の本当にごく一部でしかないだろう。しかし、もともとの母数が大きい場合、そのごく一部が凄まじい数に膨れ上がる。しかも、ネット上では原理的に同じ人が何度も書き込みをすることができる。悪意を増幅させるための仕掛けが整い過ぎているのだ。

みんな、もっと自分の中の邪悪な部分に向き合えばいい


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ラリー遠田

(らりー・とおだ)1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わ..

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